心が痛いと感じるときは、自分が「当たり前」だと思っていたことが、崩れたときであり、それは自分の心の器を広げてくれるものでもあります。
そうした「痛み」の性質と、その処方箋について、お伝えします。
名著「傷つくならば、それは「愛」ではない」(チャック・スペザーノ博士:著、大空夢湧子:訳、VOICE:出版)の一節から。
1.痛みは、優秀な教師である
痛みから逃げないでください。
痛みを避けていれば、そこにある学びをも避けてしまうことになるからです。
勇気をもって痛みを感じつくしましょう。
そして、痛みが何を教え、何を与えてくれるのかを見てみましょう。
痛みは瞬時に癒すことができ、まるごと感じきってしまえば消えてしまいます。
しかし、痛みに直面するには意志が必要です。
そして、新しい態度でのぞむ気持ちがあれば、いつもなら避けて通るようなことにも正面から出会えることでしょう。
また、いつもなら攻撃や逃避に走ってしまうところで、状況が解決するのがわかるはずです。
痛みに対して抵抗さえしなければ、真実の出口が見つかるのです。
「傷つくならば、それは「愛」ではない」 p.424
2.「痛み」が教えてくれるもの
今日のテーマは、「痛み」です。
心に何らかの痛みを感じるとき、それは私たちの心が広がり、成長するときです。
「痛み」とは、自分の当たり前が崩れたときに感じるもの
「痛み」は、誰にとってもイヤなものです。
足の小指をぶつけたとき、あるいはドアに指をはさんだとき…どれも考えただけでゾクッとしてしまいます。
はい、「痛み」には弱い私です笑
しかし、今日のテーマの「痛み」は、身体的なものではなく、心の内面で感じる「痛み」です。
私たちの心が「痛い」と感じるとき。
愛しい恋人にフラれたとき。
ずっと抱いていた夢が叶わなかったとき。
信頼していた人に裏切られたとき。
挫折を感じるとき。
自分が誰かを傷つけてしまったと感じるとき。
親しい誰かとの別離があったとき。
…いろんな場面で、心の「痛み」を感じることがあります。
そうした心の「痛み」は、自分のなかで「当たり前」だと思っていたものが崩れたときに感じるものといえます。
ずっと一緒にいられることが、当たり前だと思っていた。
この人は私を裏切ることはないと思っていた。
自分の望みが叶うことが当たり前だと思っていた。
自分の想いを伝えられることが、当たり前だと思っていた。
そんな「当たり前」が崩れたとき、私たちの心は「痛み」を感じます。
お気づきのように、この「当たり前」とは、私たちの思考パターンであり、観念であり、自己防衛であり、思い込み、ビリーフであるといえます。
そうした「当たり前」をはみ出す現実を目の前にしたとき、私たちは「痛み」を感じます。
その「当たり前」が強固であればあるほど、あるいはその「当たり前」から外れれば外れるほど、感じる「痛み」は大きくなります。
もっとも、「痛み」とはとても個人的なものですので、それを比べたり、数値化したりすることは、難しいことなのですか。
「痛み」は、自分の器を広げてくれるもの
「痛み」をそうした視点で見ていくと、「痛み」が教えてくれるものもまた、見えていきます。
そうです、「痛み」とは、自分の観念をあぶりだしてくれるものであり、自分の器を教えてくれるものといえます。
「痛み」とは、いまの自分自身が持っている観念とか、あるいは自分自身の現在地を、教えてくれるもの。
「痛み」を感じることによって、私たちは自分自身を知る、ともいえます。
たとえば、ほっぺたをぎゅっと引っ張ると、「イテテテテ…」と痛みを感じます。
しかし、その瞬間、自分の頬はいつもよりぎゅーっと広がっています。
「痛み」を感じることは、自分自身を広げてくれるようです。
だからといって、積極的に感じたいものではありませんが笑
ただ、「痛み」が教えてくれるものがあり、それはいまの自分にとって必要なものであるかもしれない、という視点は、「痛み」のなかにいるときに持っていてもいいものだと思います。
もちろん、「必ず痛みから何かを学ばないといけない」ではなく、「そこから得られるものがあるのかもしれない」という緩さで、大丈夫です。
「もし、この痛みから学ぶことがあるとしたら」
そんな視点を持つことは、私たちの世界を大きく広げてくれます。
3.「痛み」の処方箋 ~いまに注意を向けること
「痛み」のなかにいるときは、過去や未来にとらわれている
「痛み」の持つ性質と、それが教えてくれるもの。
自分の当たり前であったり、自分の観念を教えてくれる。
しかし、たとえそれがわかったとしても、残念ながら「痛み」が消え去るわけではありません。
いまの、この張り裂けるような胸の「痛み」を、どうしたらいいのか。
その「痛み」の処方箋は、ないものか。
その一つの答えは、「いまに注意を向けること」です。
「痛み」を感じるとき、私たちの心は過去や未来に引き裂かれています。
あのとき、なぜあの人はあんなことを言ったのだろう。
この先、どうなるのか、不安で仕方がない。
…などなど、思い出したくもない過去にとらわれたり、あるいは未来を考えるだけでも怖くなったりしているものです。
それはまるで、意識がいまこの瞬間から離れて、幽体離脱しているようなものかもしれません。
(私は幽体離脱を自覚?したことがないので、分かりませんが…)
その状態では、何をしてもうわの空になりますし、何をしても地に足がついていない感じがしてしまいます。
意識を、いまこの瞬間に引き戻すことが、「痛み」に対処する方法です。
そのために有効な問いがあります。
「いま、私にできることは、なんだろう?」
「いま、私にできることは、なんだろう?」
ぜひ、「痛み」のなかにいるときは、その問いを自分自身に問いかけてみてください。
必ず、何かは「できること」があるはずです。
私自身も、「痛み」のなかにいるとき、そうした問いをします。
「私に、何ができるのだろう」
それを考えた結果、「ベッドで横になる」ことの場合もありました。
「お風呂に入る」という場合もありました。
「ただ息を吸い、吐く」ということが思い浮かんだこともあります。
そうしたことは、いまこの瞬間に意識を戻してくれます。
そして、どんなに大きく深い「痛み」があろうとも。
今この瞬間は、大丈夫なんです。
私は息を吸って、吐いている。そして、私の心臓は、鼓動をやめようとしていない。
そのことを感じることができると、「痛み」は少しずつ和らいでいきます。
「痛み」のなかにいるときがあれば。
ぜひ、試してみてください。
「いま、私にできることは、何だろう?」
そしてぜひ、その浮かんだ答えを、行動してみてください。
今日は、「痛み」が教えてくれるものと、その処方箋というテーマでお伝えしました。
ここまでお読みくださり、ありがとうございました。
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