誰もが、いまの自分に与えられたベストを尽くしている。
その視点を持つことができると、自分にとてもやさしくできるようになります。
そのためのカギになり「感情的理解」について、お伝えします。
名著「傷つくならば、それは「愛」ではない」(チャック・スペザーノ博士:著、大空夢湧子:訳、VOICE:出版)の一節から。
1.だれもが与えらえた内的・外的な環境のなかで、自分のベストをつくしている
ある人の行動があなたに理解できないときは、自分自身に聞いてみましょう。
「もし私がああいう行動をするとしたら、いったいどんな気持ちを感じたときだろう」と。
人は感情にしたがって行動します。
そして感情は、その人が何を信じているかや価値感、考え方によって決まります。
何をどう感じるかは、さまざまな経験や人生の選択の産物なのです。
私たちがどんな出来事のなかでも、そのとき自分にできるかぎり最善をつくしてきたことに気づきましょう。
このことがわかってくると、自分自身に対しても人に対しても、人間であるという立場で理解と慈愛の心をもつことができます。
「傷つくならば、それは「愛」ではない」 p.422
2.相手を感情的に理解すること
今日のテーマは、「感情的理解」でしょうか。
何度か扱っているテーマではありますが、実に大切なことを私たちに教えてくれるようです。
「感情的理解」をするために
「感情的理解」とは、手放しや許しにいたるプロセスの一部です。
私たちは、どうしても自分の価値観や観念で、周りの人や、自分自身を判断してしまうものです。
そうした判断をいったんカッコに入れて、感情のレベルで相手とつながりをつくろうとするのが、「感情的理解」です。
その相手の言動ではなく、その原因となる感情を理解しようとするアプローチです。
引用文にある問いかけが、そのカギになります。
「もし私がああいう行動をするとしたら、いったいどんな気持ちを感じたときだろう」
もし、自分があのような行動をするとしたら。
そのとき、自分はどんな感情を感じているのだろう。
もちろん、すぐには分からないかもしれません。
いきなりは、理解できないかもしれません。
けれども、「もし、私がそうだったとしたら」という想像を働かせることは、相手との間に感情ベースでのつながりをつくることができます。
それは、私たちと周りの人をつなぐ、架け橋となります。
そうした想像を働かせることを重ねていくと、少しずつ、少しずつ、相手の感情や心情を理解することができていきます。
「理解する」とは、それを良しとすることでも、判断することでも、裁くことでも、従うことでもありません。
「もし、自分が同じ立場だったなら、同じことをしたかもしれないな」
それがいいことか、悪いことかといった、正誤善悪の判断を抜きにして、そう「理解」すること。
それが、「感情的理解」です。
どんな人も、いまできることをしている
人は、感情によって行動します。
そしてその感情は、いままでの経験と判断、それによって培われた価値感によって形づくられます。
何を感じ、どう考え、どう行動するかは、その人がそれまで培ってきたものに依るのでしょう。
そうとらえると、どんな人でも、いまのベストを尽くしている、と考えることはできないでしょうか。
どんな人も、私も、あなたも。
同じ、感情を持った人間です。
「感情的理解」とは、自分と、そして相手の尊厳を認めるための行為ともいえると思います。
そしてそれは、目に見える世界が「ただ在る」ことを認めること、と言い換えられるようにも思います。
あなたはあなた、わたしはわたし。
それは確かに違うけれども、感情をもとに、つながりを感じることもできる。
もちろん、それは一瞬かもしれないし、次の瞬間には「勘違いだった」と思うかもしれない。
けれども、そこに一瞬でもつながりを感じることができたとしたら、それは奇跡のようなものではないかと思うのです。
わたしと、あなた。
その両方が、ただそこに在ることを認めること。
それが、「感情的理解」といえます。
3.最終的には、自分を許すことにつながっていく
さて、こうした「感情的理解」をする恩恵について、最後にお伝えしたいと思います。
相手の言動を、感情ベースでとらえ、その尊厳を認めること。
正誤善悪の判断を外して、「ただ在る」ことを認めること。
そうしたことを続けていくと、大きな大きな恩恵が訪れます。
それは、自分を許すこと、です。
私たちは、誰よりも自分自身に厳しいものです。
人が生きる中で、最も許すことが難しいのが、自分自身である、ともいわれます。
そうした「許しロード」のラスボスともいえる、自分。
その自分を、許すことができるようになっていきます。
なぜか。
相手を感情的に理解すること、そして許すこと。
そうしていくなかで、私たちは自分自身に対しても、その視点を持つことができるようになります。
「もし私も彼と同じ状況だったら、同じことを言ったかもしれない」
そう思えたとき、私たちはその視線を自分自身にも向けることができます。
「あのとき、あの状況だったら、あれ以上のことはできなかった」
そんな視点で、自分の過去を見ることができるようになります。
自分の歩んできた道を、これまでの過去を否定したり、責めたりするのではなく。
ただただ、これまで歩いてきた自分自身をねぎらい、許し、そして愛することができるようになります。
それは、私がカウンセリングのなかで、最もお伝えしたいことの一つです。
「許し」は他人のためではなく、自分自身のためにするもの。
それと同じように、「感情的理解」の恩恵は、私たち自身に降り注ぎます。
今日は、そんな「感情的理解」について、お伝えしました。
ここまでお読みくださり、ありがとうございました。
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