大嵜直人のブログ

文筆家・心理カウンセラー。死別や失恋、挫折といった喪失感から、つながりと安心感を取り戻すお手伝いをしております。

「理解されていない」と感じるのは、自分が相手を理解していないことの投影。

「理解されていない」と感じるとき、それは自分が相手を理解していないことを投影しています。

そんな「投影」の心理を知ることと、その見方をすることの恩恵についてお伝えします。

名著「傷つくならば、それは「愛」ではない」(チャック・スペザーノ博士:著、大空夢湧子:訳、VOICE:出版)の一節から。

1.「理解されていない」と感じるのは、あなたが相手を理解していないとき

私たちの多くが、自分は子供時代に理解されなかったと感じたり、いまの人間関係でも理解されてないと感じています。

ところが、子供時代や現在の人間関係をより深く見ていくと、こうした気持ちになるのは、両親やパートナーが内面でどんな体験をしているのかを、あなたが理解していないときであることがわかります。

ですから深く見てみましょう。

 

人の行動の背景には、かならず何かしらの感情があります。

ときに人は自分の痛みに手いっぱいで、他人に意識を向けたり、その人が必要としてものに気づくだけの力やエネルギーや時間がないことがあります。

相手のそのような状態を理解することができたとき、あなた自身のニーズが癒されます。

理解することであなたが解放され、怖れも解放されます。

そして、バラバラに分離していたものが変容し、ふたたびひとつにつながるのです。

 

「傷つくならば、それは「愛」ではない」 p.442

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2.多くの気づきを与えてくれる「投影」の視点

今日のテーマは、「投影」でしょうか。

何度も何度も出てくるテーマであり、それだけに学びがいのあるテーマでもあります。

「投影」の心理

「投影」とは、文字通り自分の心のなかにあるものを、外の世界に映し出すことを指します。

心に寂しさを抱えている人は、ある夕焼けの風景を見て、「なんて寂しい色をしているんだろう」と感じるように。

その反対に、充実した一日を過ごした達成感に浸っている人は、同じ風景を見ても「いやぁ、素敵な一日の終わりだ」と感じるかもしれません。

風景に限らず、人やできごとにも、私たちは自分の心の内を「投影」します。

だから、過去に出会ったニガテな人を、いまの目の前の人に「投影」したりもします。

パートナーシップでは、よく自分の親をパートナーに「投影」したりして、それによってコミュニケーションを阻害したりもします。

それを突きつめていくと、「世界は自分がつくりだしている」という壮大な話になっていくのでしょう。

「理解されていない」と感じることを、「投影」から見ると

さて、そうした「投影」の心理をお話しした上で。

今日の引用文で言われる「理解されていない」と感じる状況について、考えてみます。

そりゃあ、ありますよね…「自分は、理解されていない」と感じること。

「正当な評価をされていない」という形で出ることもあるでしょうし、

「全然私の気持ちを汲み取ってくれない」という不満で出ることもあるでしょうし、

あるいは「誰も私のことをわかってくれない」と感じることもあるでしょう。

まあ、並べてみると、自立的な人の必修項目みたいな感じですね…

私も、ずいぶんとお世話になってきた気がします笑

さて、そうした相手に「理解されていない」と感じる状況を、「投影」の視点から見てみると、どうなるでしょうか。

「理解されていない」、つまり相手が自分のことを「理解していない」と感じる。

そのとき、「理解していない」のは、相手と自分のどちらでしょうか…

そうなんです。

自分が相手を理解していないとき、私たちはそれをそのまま相手に「投影」します。

そして、相手が自分を理解していない、と感じるわけです。

はい、イヤですよねぇ…ほんと笑

理解してくれないのは相手ならば、相手の問題にできるのですが、「投影」を使って考えると、なかなかそうもいきません。

自分の問題として、はね返ってくるわけです。

イヤなものですけれどね…だって、相手のせいにしておいた方がラクですから笑

ただ裏を返せば、その問題は主体的に解決していくことができる、ということでもあります。

これが、大きいんですよね。

3.「理解できない」自分を許すこと

どれを選んでも、大丈夫という主体性

「理解してくれない」という相手の問題にすることもできますが、その状態は完全に受け身で、自分から何かすることは難しくなります。

けれども、自分の問題として見ることができれば、それは「自分で」何がしかのアプローチをすることができることになります。

こう書くと、「自分の問題としてとらえるべき!」と聞こえるかもしれませんが、決してそうではないんですよね。

大切なのは、それを自分が「選べる」ということ。

それが主体性であり、自由でいられる、ということです。

心理学を学んだり、カウンセリングを受けたりすることの大きな恩恵が、ここにあります。

決して、「これが正しい」とか、「こうするべき」といった、絶対的なものを得ることが、目的ではないんです。

それがどれだけ正しくても、「それしかない」ととらえてしまうと、私たちの心はとたんに生気を失ってしまいます。

そうではなくて、いろんな道や可能性を見た上で、自分はどれを選んでもいいんだと思えること。

自分が選びたいものを、選んでいいと許可を出せること。

それが、最も大きな恩恵の一つだと思います。

少なくとも、私のカウンセリングでは、そうしたお伝え方ができるように努めています。

理解できないときは、理解できないことを「許す」

だから、いいんです、好きなだけ他責にして。

好きなだけ、「理解してくれない!」と、全身の毛を逆立てたり、ばりばり引っ搔いたりしていいんです笑

ただひとつ言えるのは、そう感じる自分を「間違っている」と否定してしまうこと。

あるいは、「理解していないのは自分だから、自分が悪いんだよな…」と自分自身を責めてしまうこと。

あ、ひとつじゃなくてふたつになっちゃいました笑

それは、避けていただいた方がいいかな、と思います。

そのスパイラルに入ると、結構しんどいですよね。

常に理解することができれば、それは素晴らしいのでしょうけれども、なかなかそうもいかないのが、私たち人間だと思います。

「理解する」とは、言ってみれば相手の背景や経験、心情などに想いを馳せ、「自分だったら、どう感じるだろう、どんな言動をするだろう」と慮ることです。

それをすることができるのは、人に与えられた本当に偉大な力だとは思いますが、さりとて、それをするにはとてもエネルギーを使います。

自分に余裕がないと、なかなかできないわけです。

ときに人は自分の痛みに手いっぱいで、他人に意識を向けたり、その人が必要としてものに気づくだけの力やエネルギーや時間がないことがあります。

まさに、引用文にある通りですよね。

そんなときに、「理解できない」ことをダシにして、自分を責めなくてもいいんです。

「理解できない」ときは、「理解できない自分」を許すことです。

「そりゃあ、いまは余裕がないから、しょうがないよね」

「でも、理解しようとしたことだけでも、素晴らしいよね」

「また、理解できるときも、来るさ」

そんなふうに、自分を受け入れ、許す言葉をかけてあげることです。

そうすると、不思議なことに、「理解してくれない」相手への不満が、ゆるんでいきます。

なぜか。

そうです、今日のテーマ、「投影」です。

「理解できない」自分を許せた分、それを相手に「投影」するんです。

そうすると、「理解してくれない」相手を許せるようになります。

あら、びっくり。

「まあ、理解できない事情があるんだろうから、仕方ないよね」

そんな風に思えるようになります。

そうすると相手への攻撃性が薄れるので、必然的に関係性は良化していくのです。

 

それにしても、ほんと、奥深いですよね、「投影」って。

今日のテーマを書いていて、私もあらためてそう感じました。

心理学の中で、最も重要な概念のひとつといわれるのが、よく分かります。

今日は、そんな「投影」をテーマに、「理解されていない」と感じるときの視点についてお伝えしました。

ここまでお読みくださり、ありがとうございました。

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