当ブログのカテゴリーを、いくつか整理しております。
その中で、「やさしい心理学」のカテゴリーを新しく設定しました。
今後の私のカウンセラー活動の発信内容の一つとして、このカテゴリーの記事を増やしていきたいと思っています。
今日は、そのタイトルに込めた意味、あるいは想いについて、少し書いてみたいと思います。
1.自分に優しい心理学であること
まず第一に、読んでいただける方にとって、「優しい」心理学であることを心がけたいと思っています。
これは、私自身の経験から、そうありたいと思っています。
心理学を学ぶ恩恵とは
心理学を学ぶ場面は、やはり自分ではどうしようもない問題を抱えたときが多いのではないでしょうか。
私自身も、そうでした。
人間関係、パートナーシップで悩み、その当時の自分ではどうにも解決できなくて、助けを求めるうちに心理学と出会いました。
そして学んでいくうちに、私の寂しさや孤独感に気付き、両親との死別と向き合うようになっていきました。
そうして出会った心理学ですが、それを学んでいくことは、たくさんの恩恵を与えてくれます。
新しいものの見方を得られるのは、本当に大きな恩恵です。
それまで、ずっと正面からしか見えていなかったものが、実は違う角度から見ると、まったく違う形をしていた、というように。
それは、自分という存在と、もう一度向き合い直す機会を与えてくれます。
心理学を自分責めに使わないために
しかし、そうして心理学を学んでいく恩恵には、気をつけないといけないことがあります。
それは、「心理学を学んだ自分」が、「それ以前の自分」を責めてしまうことです。
「あの人に依存してしまったから…」
「あまりにも自立しすぎて、人に頼れなかったから…」
「きょうだいとの関係が…」
自分を客観視することができるようになると、いまの自分の苦しさの原因も、少しずつ見えてくることがあります。
そして、やさしくて真面目な人ほど、そうした原因をつくった過去の自分を責めてしまいがちです。
だから、自分はダメだったんだ、と。
はい。私自身、これをめちゃくちゃ、やってきました。
というか、今でも無意識にしてしまいます笑
気づくたびに、そうじゃない、そうじゃない、と思い返すのですけれども。
悲しいですよね。
せっかく、自分をもっとよくしたい、楽になりたいと思って学んでいるのに、心理学を自分責めの道具にしてしまうのは。
私がたどってきた、そんな経験から、「自分に優しい」心理学を目指したいと思います。
そこが素晴らしいんだと何度でも伝えたい
少し、付け加えるのであれば。
ほんとうのところは、その逆なのだと思うのです。
その問題、悩みの原因となった要素は、その人の素晴らしい才能でもあります。
自立しすぎた人は、それだけ与えられる人です。
親と癒着してきた人は、それだけ愛が深い人です。
ずっと犠牲してきた人は、それだけ無償の愛が出せる人です。
その問題の原因の裏側に、その人の唯一無二ともいえる才能が眠っています。
もちろん、苦しいのは誰でもイヤですので、それを緩めることも大切なのですが、それを才能の側から見たいと思います。
その問題があり、その原因があるからこそ、あなたは素晴らしいんだ、と何度でも伝えたいのです。
私のカウンセリングでも、その視点は忘れないようにしています。
2.易しい=わかりやすい心理学であること
ふたつ目としては、易しい=わかりやすいことを大切にしたいと思っています。
これも、私自身の経験からです。
自分のできる範囲を、わかりやすく
「易しい」というのは、「心理学が易しい」という意味ではありません。
世界にはいろんな心理学があり、難解なものもたくさんあります。
私も、そうした専門書を読んだりすると、ちんぷんかんぷんになることは多々あります笑
しかしながら、「難しいことを、分かりやすく」説明することが、最も難しく、最も価値があることなのだと思います。
できるだけ、「易しい」=「分かりやすい」ことを心がけて書いていきたいと思います。
そのために、無理に背伸びをせず、自分のできる範囲のことを、分かりやすい形でお伝えしていきたいと思っています。
その範囲を広げるために、少しずつでも私自身の学びを深め、心理学あるいは自分の心と向き合っていきます。
体験者である、という視点
心理学についての情報は、いまは探せばネットでいくらでも出てきます。
その中で、私がここで書くことは、やはり私の経験を通して書かないと、意味がないのでしょう。
心理学は、それを自分と向き合うために使うと、ことさらに強い輝きを放ちます。
その体験と切り離してしまうと、ただの言葉遊びになったり、ともすれば言葉の暴力になったりもします。
そうしたことは、私の本意ではありません。
体験者である、という視点を忘れず、それをわかりやすく伝えることを心がけていきます。
3.優しい社会のための心理学であること
最後になりますが、なぜ私が心理学について書き、カウンセリングをするのか、というそもそもの原点についてです。
カウンセリング・マインドを届ける
私自身、心理学について学ぶことで、いろんな経験をさせていただきました。
新しい自分や、あるいは古い傷ついた自分と出会い、多くの人の愛に気付き、故人とのつながりを取り戻し…数えきれないほどの恩恵がありました。
その恩恵の中には、「カウンセリング・マインド」とでも呼べるような、ものの見方があります。
「なぜ、あの人はこうしたのだろう」
「この人は、どういう感情を抱いているのだろう」
「なぜ、そんなにも怒っているのだろう」
・・・などなど。
感情的理解とも言えるでしょうし、正誤善悪ではなく愛からものごとを見る、とも言えるのでしょう。
もちろん、四六時中その状態でいることは難しいですし、近しい人にほど、そのマインドを持つことは困難です。
けれど、そうしたマインドを持てたとき、確実に世界は彩りを取り戻します。
私自身も、そうでした。
優しい社会のために
そうした私の経験を、一人でも多くの方にお伝えすることで、優しい社会の一助になればと、いまは考えています。
カウンセラーが特別な存在なのではなく、その「カウンセリング・マインド」を一人でも多くの人が持つことができれば、それだけ優しい社会になると思うのです。
誰しもが、素晴らしい愛を持って生まれてきます。
しかしこの社会では、時にその愛を曇らせてしまうようなことが起きます。
カウンセリングは、その忘れてしまった愛を思い出す時間のように思うのです。
その愛を思い出すことができれば、どんな状況でも人は満たされます。
そして、満たされた分、周りに優しくできます。
そうした一人一人の、小さな小さな積み重ねこそが、優しい社会につながっていくのではないかと私は思います。
もちろん、優れた特別な存在になりたいという、根っからのヒーロー願望や、助けたい症候群、あるいは競争心理などは、まだまだ多分に私は持っているのですけれど笑
それでも、優しい社会の一助になれるように、ここで「やさしい心理学」を書き続けていきます。
ということで、今日は少し肩に力が入った記事になってしまいました。
無理せず、少しずつ続けていければと思います。
引き続き、どうぞよろしくお願いいたします。
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