大嵜直人のブログ

文筆家・心理カウンセラー。死別や失恋、挫折といった喪失感から、つながりと安心感を取り戻すお手伝いをしております。

自分のことで悩んだときは、他人に「与える」意識を持つと抜け出しやすくなる。

自分のことで悩んだときは、他人に「与える」意識を持つと、そこから抜け出しやすくなります。

「与えて、抜ける」といわれるテーマです。

よくある「まずは自分を最優先する」というテーマとの関係とあわせて、お伝えします。

名著「傷つくならば、それは「愛」ではない」(チャック・スペザーノ博士:著、大空夢湧子:訳、VOICE:出版)の一節から。

1.自分がちぢこまっている感じがしたら、手をさしのべて人に与えよう

傷ついたり、自分がどう思われているか悩んだり、当惑したり、または恥ずかしいときや、屈辱感や罪悪感や怖れを感じたりするとき、私たちは小さくちぢこまってしまいます。

 

でも、それをもっとも簡単に癒す方法のひとつは、あなたが「呼ばれている」と感じる人に手をさしのべ、与えることです。

 

これはリーダーシップの原則ですが、つねに自分の苦悩より他者の方を重視するということです。

自分の問題で四苦八苦してみずからを拷問にさらすよりも、自分から人に手をさしのべたとき、その人とあなたがともに癒されるのです。

 

「傷つくならば、それは「愛」ではない」 p.118

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2.相反するテーマを、どう考えるか?

今日のテーマは、「与える」ことでしょうか。

与えること、受け取ることは、とても重要なテーマであり、これまでも何度となく出てきました。

しかしながら、今日のテーマは、これまでと少し毛色が違うようです。

心理学は、「ああ言えば、こう言う」学

心理学は、一見すると相反することを、平然と言っていることがあります。

「ああ言えば、こう言う」学問とよく言われますが、その通りだな、と私もよく思います笑

今日のテーマもまた、その典型的な例かもしれません。

「まずは、自分から」
「他人に目を向けるよりも、自分と向き合う」
「自分で自分を癒すことが、他人を癒すことにつながる」

…などなど、そのような話は、よく耳にしたことがあるのではないでしょうか。

これまでも、よくそんなテーマで書いてきました。

しかし、今日のテーマはそれと真逆のことを言っているように見えます。

これはリーダーシップの原則ですが、つねに自分の苦悩より他者の方を重視するということです。

自分の苦悩よりも、他人を重視しなさい、と平然と言っているわけです。

まさに、「ああ言えば、こう言う」ですね笑

真実は、一つではない

しかしながら、そのどちらかが正しくて、どちらかが間違っているわけでは、ありません。

どちらも正しいこともあれば、どちらも間違っていることもあるのが、世のことわりなのでしょう。

真実は、一つではないはずです

それを、「どれか一つだけが正しい」と考えてしまうのは、「正解主義」に影響されているのかもしれません。

いまではずいぶんと変わってきたと思いますが、長らく日本の学校教育においては、「正解主義」が色濃くありました。

学校で行われるテストは、正解が一つだけという形式が多かったと思います。

大学入学共通テスト(昔のセンター試験)なんかの、マークシート方式も、そうですよね。

それが良い/悪いという議論ではなく、そうしたテストを積み重ねていくと、「正解主義」の思考に陥りやすい、という認識は必要かと思います。

私も、よく陥ります。

「どれが正解だろう?」と考えたり、「一つの正解以外は、すべて間違い」とものごとをとらえてしまったり。

しかし、世界はもっとグレーで、モザイク模様をしています。

白か黒か、判断できない色がたくさんありますし、真実は一つではありません。

それが、世界の豊かさの源泉であり、世界に彩りを与えてくれるものです。

 

そんなふうに考えていくと、相反するテーマがあっても、いいのではないでしょうか。

その曖昧さを、楽しめるようになると、豊かさも増していくように思います。

3.「与えて、抜ける」という癒しのかたち

「与える」ことの難しさと、偉大さ

さて、「与える」というテーマから、少し離れてしまいました笑

「与える」ということは、確かに難しいものです。

まず、心理的に依存している状態では、自分の無力感ゆえに与えることが難しいものです。

かといって自立の状態は思考優位のため、「取引」や「犠牲」、「期待」といった心理からの行為になりやすく、それは「与える」こととは異なります。

「与える」とは、相手が喜ぶことをしてあげて、その行為自体に喜びを感じられる状態のことを指します。

「取引」のように見返りを求めたりせず、「与えられる」ことに感謝できます。

それは、人が人を愛することの一つです。

もちろん、常に100%、誰にでも「与えられる」かといえば、実際には難しいものです。

家族やパートナーなど、近しい存在ほど、難しくもなります。

しかしそうだとしても、「与える」という行為の偉大さを知っておくのは、無駄なことではありません。

「与えて、抜ける」 ~自分の痛みよりも、他人を優先する

さて、私のブログもしかりですが、心理学に惹かれる人というのは、もともとが「与えたがり」の方が多いように思います。

これを読んで、「そんなことない!」と全力で首を振る方ほど、そうなんですよ笑

どんなに自分が傷ついていようが、周りの誰かが傷ついていると、放っておけない。

気を揉むし、何とかしてあげようと思うし、何ができるだとうと考えてしまう。

もちろん、それがゆえに、自分の無力感であったり、相手と癒着してしまったり、いろんな厄介ごとを抱え込んでしまうこともあります。

けれども、それはもともと「この人を助けたい、癒したい、愛したい」という想いから、生まれてくる痛みであったりします。

私のカウンセリングでは、そうした「原点」を忘れないようにしたいと、いつも思っています。

 

自分の痛みに目を向けると、どうしても私たちは「愛の出し惜しみ」をしてしまいます。

引用文の「ちぢこまっている感じ」とは、よく言ったものです。

しかし、そうしたときほど、周りのたいせつな人に目を向けると、そうした痛み、怖れ、恥ずかしさ、ちぢこまっている感じから、抜けだすことができます

「与えて、抜ける」

心理学でいわれる、金言の一つです。

誰かのために生きるとき、人は自らの持つ才能を開花させます。

そのとき、自分が傷ついていることすら忘れてしまします。

「忘却とは、最高の癒し」、まさにその言葉の通りに、与えることは、自分を癒してくrます。

自分の問題で四苦八苦してみずからを拷問にさらすよりも、自分から人に手をさしのべたとき、その人とあなたがともに癒されるのです。

それはまさに、引用文にある通りです。

「与えて、抜ける」。

覚えておきたい、真実の一つです。

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