大嵜直人のブログ

文筆家・心理カウンセラー。死別や失恋、挫折といった喪失感から、つながりと安心感を取り戻すお手伝いをしております。

「デッドゾーン」に、祝福を。

「デッドゾーン」の心理についてお伝えします。

「自立」の行きつく先であり、無気力や無感動、燃え尽き症候群、果ては死の誘惑が訪れることもあります。

しかし、それは新たな誕生、あるいは再生に、最も近い場所でもあります。

名著「傷つくならば、それは「愛」ではない」(チャック・スペザーノ博士:著、大空夢湧子:訳、VOICE:出版)の一節から。

1.<デッドゾーン>とは、自立の最終段階

私たちの文化では、「成長の最終段階は自立である」と教えられてきました。

しかし、本当は「自立」というのは、「相互依存」や「パートナーシップ」にいたる手前の段階なのです。

そして相互依存の段階に進むためには、人生というゲームのルールに、これまでとはまったく違ったガイドラインを取り入れなければならないでしょう。

自立の段階では非常にうまくいっていたことが、相互依存の段階では、逆に自分の足を引っぱってしまうことになるのです。

 

「自立」の最終段階は死んだように生気のない状態で、わたしは愛着をこめて<デッドゾーン>と呼んでいます。

この段階は、あたかも型にはめこまれたように硬直している感じです。

<デッドゾーン>では、自分がそうするべきだから、という理由で行動しているのであって、みずから選択して行動しているのではありません。

「自立」している人は、人生の大いなる反逆者であり、隷属的な状態をけっして自分に許したりはしませんが、じつは自分自身の内面に犠牲的な部分を隠しているのです。

 

<デッドゾーン>にいるときは、はた目には大成功しているように見えても、自分では失敗者だと感じています。

さらにまた極度の疲労感と、深い疲弊感を感じて、死にたくなってしまうこともあります。

これは受けとることができなくなっているからです。

すなわち、その人をはぐくみ、生きていくための原動力を与えてくれる「受けとる」ほうの側面(その人のなかの「女性」性の側面)が、まったく癒されていないのです。

 

この<デッドゾーン>のなかにこそ、自立の本質的な特徴がひそんでいます。

それは、競争性です。

この段階になると、自分が選手としてあまりにも優秀なので、競争しようとさえしません。

だって自分が一番だとわかっているときに、だれがわざわざ人と競争する必要があるでしょうか。

ただ、競争心がいまだにあなたを駆り立てているのです。

競争心からあなたは働き、そして、ごほうびを受けとることができないのです。

 

あなたが「自立」の段階にいるのなら、より高い成長のレベルに進むことを考えてもいいときです。

そこには、より大きな挑戦、より大きなリスク、より大きな学びがあり、あなたは<デッドゾーン>から抜けだすことができるのです。

 

「傷つくならば、それは「愛」ではない」 p.113,114

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2.自立の極北、「デッドゾーン」

今日のテーマは、私の大好きな?「デッドゾーン」です。

引用文にも「愛着をこめて」という言葉があるので、スペザーノ博士も、きっと大好きなのだと思います笑

以前に書いた「期待」の記事で少し出てきましたが、今日は自立の極北ともいえる、「デッドゾーン」の心理についてです。

人の心の成長モデルについて

依存から自立にいたるプロセス

まずは、人の心の成長プロセスについて、おさらいしていきましょう。

これまで何度も書いてきましたが、心理学において最も基本的で重要な考え方の一つなので、お付き合いください。

はじめて、こうした心理学のブログを読まれる方のためにも、「やさしい心理学」でありたいと思いますので。

私たちの心の成長は、「依存→自立→相互依存」というプロセスをたどります。

どんな環境でも、私たちは最初は「自分では何もできない」という依存の状態からはじまります。

生まれたての赤ちゃん、入学式を終えたばかりの小学生、初めてのパートナーとの新しい部署に異動したばかりの社員など、さまざまな場面で、そういったマインドになります。

主導権がなく、誰かに何かをしてもらいたい、という欲求やマインドが強い状態です。

しかしながら、そうした欲求は常に満たされることがなく、相手に振り回される状態は辛いものです。

そのため私たちは、他人に頼ることをやめて、何とか自分で自分のことをしようとしはじめます。

「依存」から「自立」への移行です。

「自立」時代の特徴として、思考的であること、自分のルール(正しさ)にこだわることが挙げられます。

そして、それゆえに常に何かと競争しています。

引用文にも、ある通りですね。

また、競争に負けてしまうと、依存的な自分に戻ってしまう気がするため、常に絶対に負けられない戦いをしているともいえます。

「自立」にも2種類ある

この「自立」にも2種類あって、心の内に依存心を隠している状態と、そうした依存心すらも切ってしまう状態があります。

前者は「自立の依存」、後者を「自立の自立」と呼んだりします。

「自立の依存」とは、自立しているように見えて、その裏側には依存心を隠している状態です。

それゆえに、自分で選んで行動いるように見えて、実は他人に認められたい、もらいたい、受け入れられたい、といった依存心が、その原動力になっていたりします。

他人の評価の方に重きを置いている以上、他人軸の状態といえます。

一方、「自立の自立」とは、他人に頼りたい、依存したい気持ちや感情すらも、抑圧してしまった状態といえます。

多くの場合、怒りを使って、そうした感情を抑圧し、マヒさせていきます。

しかし、そうした依存心や悲しみや寂しさといった感情を抑圧すると、その逆のつながり、よろこび、うれしさといった感情もまた、切れてしまいます。

つまり、すべての感情を切ってしまうので、何も感じないロボットような状態、あるいはひどく無気力な状態に陥ります。

「自立の自立」になると、何かを演じている状態になるといわれます。

<デッドゾーン>では、自分がそうするべきだから、という理由で行動しているのであって、みずから選択して行動しているのではありません。

まさに、引用文のこの部分の通りですね。

「デッドゾーン」の心理

「自立の自立」の行き着く先

そうした「自立の自立」の極北に、「デッドゾーン」はあります。

まるで自分がロボットのように、毎日するべきことをこなしている状態。

何も感じず、ただ疲労感だけがあり、燃え尽きたような状態。

ときには、死の誘惑に駆られることもります。

私が「デッドゾーン」にいたとき、日々、ひどく疲れていました。

はた目から見れば、なんの問題もない状態だったのかもしれません。

しかし、燃え尽きてしました。

日々季節が移り行くことも目に入らず、無感動、無関心。

ある日、朝の通勤途中で居眠り運転をしてしまい、止まっているトラックに突っ込んだりもしました。

しかし、「仕事に行かなくては」と一人で事故の処理して、仕事に向かう。

そんな状態でした。

ただ、毎日「やるべきこと」をこなすだけの、カタカタと無機質な時間だけが流れていました。

その時期、仕事の取引先など、周りの人によく言われました。

「何を考えているのか、分からないよね」

そりゃそうですよね、何を感じているのか、本人が一番分かっていないんですから。

笑えないですよねぇ、ほんと…

「自立」という「反逆者」

「自立」をするとは、ある意味で何かへの反抗、反逆なのかもしれません

引用文にも、こうあります。

「自立」している人は、人生の大いなる反逆者であり、隷属的な状態をけっして自分に許したりはしませんが、じつは自分自身の内面に犠牲的な部分を隠しているのです。

人生の大いなる反逆者。

隷属を嫌い、許せない。

まさに、「自立」の特徴を、よく言い表していると感じます。

頼らない、甘えない、信じない、任せない。

もちろん、それによって、自分で何かができるようになったり、ポジティブな側面もたくさんあります。

しかし、「自立」のなかにいる人は、こんなふうに感じているのかもしれません。

ぼくの思い通りにアンタしてくれないんなら、もうぼくがやるよ!
アンタ、どうせ助けてくれないんでしょ?いらないよ、そんなの!
アンタが頼りにならないから、ぼくはこうしてるんだよ!

書いていて、非常にモヤモヤするのは、まだまだ私もそうしたマインドを持っているからでしょう笑

ここでいう「アンタ」とは、母親、父親、きょうだい、先生、パートナー、社会、運命、神さま…といったものを指します。

そうしたものに、中指を立てて、反逆者となっているのが、「自立」といえます。

「ずっと、神さまに中指を立てて生きてきたんやねぇ」

そう師匠が仰ったことに、「そんなことないです!」と全力で否定したことを、私はよく覚えております、はい。

3.死と再生は、すぐそばに

「デッドゾーン」を抜け出すためには

さて、「デッドゾーン」に至ると、人は死の誘惑に駆られたりもする、と先ほど書きました。

ここでいう「死」とは、物理的な死の意味でもありますが、仕事でいえば「退職」であったり、パートナーシップや人間関係でいえば「別れ」であったり、あるいは、夢をあきらめる、ということであったりします。

しかしそれは、新たな誕生、再生へのチャンスでもあります。

その再生への意志があるからこそ悩み、こうして心理学を学んだり、カウンセラーを探したりするわけですから。

それは、「自立」の次の段階、「相互依存」へといたる過程であるわけです。

「相互依存」とは、自分でできることは自分でするし、自分でできないことは、誰かに頼る、お願いできる、という状態です。

Win-Winの関係、ともよく言われますね。

しかし、「相互依存」にいたるためには、「自立」で学んだことを、手放す必要があります。

そして相互依存の段階に進むためには、人生というゲームのルールに、これまでとはまったく違ったガイドラインを取り入れなければならないでしょう。

それまで禁じていた、「がんばらない」「人を頼る」「任せる」「甘える」といったことが、「相互依存」の扉を開くカギになってきます。

しかし、「依存」時代に深く傷ついていればいるほど、ものすごく怖いし、抵抗を感じるわけです。

いままで、絶対にしてはいけないことだったんですから。

そこまで頑張れたことが、まず素晴らしい

この怖さや抵抗を、すぐに無くそうとしなくてもいいと、私は思います。

「デッドゾーン」に至る、そこまで頑張ってきた自分を、褒めてあげましょう。

そこに至るまで頑張れたことが、素晴らしいのですから。

そこまで頑張ってきたことは、何も悪くないですし、何も間違っていません

そうした見方をしていくと、二つの方向性が見えてきます。

「そこまで頑張れたのは、それだけ深く傷ついていたのかもしれない」という見方。

こちらの方からは、過去の傷や痛みと向き合い、癒していくアプローチがあるでしょう。

もう一つは、

「深く傷ついたのは、それが自分にとって大事なものだったんだ」という見方。

ここからは、その人の傷や痛みの向こう側にある才能にフォーカスするアプローチですね。

それはどちらかを選ぶものでもなく、車の両輪のように回っていくものです。

 

ただ、繰り返しになりますが、「デッドゾーン」にいたることは、ダメなことでも、いけないことでもありません。

そこに至ることができた自分を、誇ってあげましょう。

今日のタイトルの通りです。

「デッドゾーン」に、祝福を。

生命は、死と再生を繰り返す

生命は、死と再生を繰り返すことで、その恒常性を保っています。

かの名作アニメ、エヴァンゲリオンの旧劇場版のサブタイトルが、「シト再生」(死と再生)だったのを、思い出しますね。

個体としての生命も、身体のなかの細胞は日々死と再生を繰り返しますし、種としての生命を出産と死の連鎖と見ることもできるでしょう。

DNAが二重らせん構造をしているのは、どこか象徴的ですよね。

心の成長もまた、らせん状なのかもしれません。

単純な一直線状に「依存→自立→相互依存」と向かうのではなく、螺旋階段を登るように、成長していくものなのでしょう。

一つの成長は、また次の成長の礎になっていくようです。

そして、それはどんどん大きな円環を描いていくのでしょう。

 

少し、話しが逸れてしまいました。

ただ、「デッドゾーン」に来れたことは、決して悪いことではありません

そこまで頑張ってきたことを、認め、ねぎらい、祝福してあげましょう。

よく、ここまでこれましたね、と。

まずは、それでいいんだと思います。

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