大嵜直人のブログ

文筆家・心理カウンセラー。死別や失恋、挫折といった喪失感から、つながりと安心感を取り戻すお手伝いをしております。

「怖れ」の心理と、そのゆるめ方について。

「怖れ」の心理について、お伝えします。

心の深い部分には、愛か怖れしかない、といわれるように、「怖れ」とは非常に原初的で、本能的なものです。

そうした「怖れ」の性質と、それを和らげるために有効なことをお伝えします。

名著「傷つくならば、それは「愛」ではない」(チャック・スペザーノ博士:著、大空夢湧子:訳、VOICE:出版)の一節から。

1.罪悪感の奥には、つねに怖れが隠れている

罪悪感とは、いわば自分のなかで「まちがい」や「過ち」という記念碑をうちたて、ひたすらそれを信奉しているようなものです。

そうしていると、いつのまにか本来の人生の道からそれてしまいます。

罪悪感があると愛する人々からひきこもり、自分を押さえこんでしまいます。

 

あなたはパートナーとの関係で、何かまちがいをおかしたとか、自分がいけないのだと思いこんでいるかもしれません。

しかし、考えてみてください。

罪悪感は、まちがいや過ちをいっそう強化するだけでなく、パートナーを愛といたわりに飢えた状態にしてしまいます。

 

あなたは罪悪感やさまざまな感情によって、自分が前に進むのを押しとどめてきたのです。

これから先に起こることも、きっと過去と同じはめになるに違いない、と未来を怖れ、その怖れから生き方を決めてしまいます。

 

何に出会っても、つねに次の段階を迎え入れようとする心さえあれば、怖れをつきぬけていくことができます。

そして、許しがあれば罪悪感は溶けていきます。罪悪感を手放すと、未来にはすばらしい地平線が広がっていて、あなたを手招きしているのがわかることでしょう。

未来を怖れる必要は、まったくありません。

 

「傷つくならば、それは「愛」ではない」 p.80

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2.「怖れ」の心理

今日のテーマは、「怖れ」です。

多くの問題を引きおこす「怖れ」の心理について、触れてみたいと思います。

罪悪感と、その奥にひそむ「怖れ」

「怖れ」に触れる前に、罪悪感について少し触れてみます。

罪悪感とは、文字通り「罪」を犯した、「悪」いことをした、という感情です。

それによって、いわば自分を罪人のように扱おうとします。

罪人は、罰を受けないといけませんし、幸せになってはいけませんよね。

罪悪感があると愛する人々からひきこもり、自分を押さえこんでしまいます。

引用文にこうある通り、自分を幸せから遠ざける選択や行動を選んでしまいます。

まさに、「まちがい」や「過ち」という記念碑を、信奉しているようなものですね。

こうした罪悪感には、

「誰かを傷つけてしまった」
「誰かを助けられなかった」
「役に立てなかった」
「見捨ててしまった」
「自分は汚れている」
といったものから、親や社会から受け継いできたものまで、実にさまざまな種類があります。

なかなか、そうした罪悪感は根深く、意識するのも難しいものもあります。

さて、今日の引用文では、そんな罪悪感の奥には「怖れ」があるとしています。

「怖れ」とは予測であり、本能的な防衛である

その「怖れ」とは、一種の予測であることが、その特徴です。

これから先に起こることも、きっと過去と同じはめになるに違いない、と未来を怖れ、その怖れから生き方を決めてしまいます。

引用文にこうありますが、過去に起こったできごとをもとに、未来を予測し、それを「怖れ」として感じるわけです。

これは、過去の失敗や痛みを繰り返さないように、という本能的な防衛といえます。

以前、この道を歩いていたら大きなクマに出くわしたから、別の道を選ぼう。

夏に日照りが少ないと、稲が凶作になるから、食べものを節約しよう。

前に西の山に霞がかかっていたとき、翌日雨が降ったから、遠出は控えよう。

などなど、さまざまな過去の経験を、未来に活かそうとする心のはたらきとも言えます。

おそらく、そうして人類は、さまざまな厄災や苦難から逃れるすべを、学んできたのでしょう。

それくらい、「怖れ」というのは、原初的かつ本能的で、根源的なものであると見ることもできます。

そうした「怖れ」ですが、いまの私たちには必要がないものも、あるわけです。

都会に暮らしていたら、道を歩いていてクマに出くわす心配など、不要なわけです。

このような不要な「怖れ」が、私たちの足かせになってしまいます。

3.愛か、怖れか

心の深い部分では「愛」か「怖れ」しかない

「怖れ」という心理について、その特徴を見てきました。

「心の深い部分には、愛か怖れしかない」とは、よく言われます。

これは愛か、それとも怖れか。

いろんなことで迷うとき、そう自問してみると、少し違った視点が見つかるのかもしれません。

そして、もし「怖れ」だとわかったとしても。

何も不安になる必要はありまん。

引用文にある通り、次の段階を迎えようとする心さえあれば、「怖れ」を突き抜けていくことができるからです。

「怖れ」を持つことは、人の本能的な部分でもあり、それを無くそうとしても難しいものです。

しかし、「怖れ」が出てきても、それを乗り越えることができる、とだけ知っておくだけでも、違うと思います。

「怖れ」を感じたとき有効なこと

「怖れ」は、予測であると書きました。

つまり、実際に起きているわけではありません。

予測がすべて実際に起きるならば、きっと私は週末のGⅠレースで大儲けしていることでしょう笑

しかし、そうはなっていないわけです。

「怖れ」のほとんどは、実際に起きていないことですす。

そうした性質を考えた場合、「怖れ」を和らげるのに有効なことを二つお伝えします。

ひとつは、紙に「怖れ」を書き出してみること。

「怖れ」を頭の中で考えていると、どんどん膨らんでいってしまいます。

しかし、それを紙に書いて形にすることで、

もう一つは、「いま」できることをすること。

「怖れ」にとらわれていると、意識は過去と未来に引き裂かれます。

前は、こんなよくないことが起きた。
これから、あんなことが起きたらどうしよう。
というように。

そこには、「いま」という意識がありません。

しかし、そこで「いま」「自分に」できることを探し、それにベストを尽くすことは、「怖れ」を和らげてくれます。

必ず、「いま」何かできることがあるはずなんですよね。

過去と未来に意識が向くと、人の身体は硬直してしまいます。

「いま」できることを探すと、その硬直した身体がゆるめ、動かすことができます。

以上、「怖れ」を和らげるために有効な、二つのことでした。

無くそうとするのではなく、感謝して手放す

「怖れ」は、非常に原初的で、本能的なものです。

それは自分を守ってくれようとしているもの、と考えると、「怖れ」とは心のブレーキという、大切な機能だといえます。

それを無くしてしまったら、大変です。

ブレーキのない車は、すぐに事故しちゃいますよね。

それを正しく使えるから、F1のようにすごいスピードでも走れたりもするわけです。

いままで守ってくれて、ありがとうね。

でも、いまの私には、必要ないんだ。

いままで、ありがとうね。

そんなふうに、「怖れ」とつきあっていけたら、ステキだなと思います。

ご参考になりましたら、幸いです。

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