大嵜直人のブログ

文筆家・心理カウンセラー。死別や失恋、挫折といった喪失感から、つながりと安心感を取り戻すお手伝いをしております。

そのできごとの意味づけを、ポジティブに変えるとしたら、どんな風に見ることができるだろう?

自分を癒すほどに、「罪悪感」は薄まっていきます。

そして自分を癒すとは、ネガティブなできごとの意味づけを変えていくことを指します。

1.「罪悪感」は癒すものであり、癒えるもの

昨日の記事では、「罪悪感」は否定するものでもなく、癒すもの、というテーマでお伝えしました。

「罪悪感」は消すものでも否定するものでもなく、癒すもの。 - 大嵜直人のブログ

ここのところ、「罪悪感」のテーマが続いておりますが、お腹いっぱいでしょうか笑

さまざまな問題を引きおこす「罪悪感」。

これがあると、自分を幸せから遠ざけるような行動を取ってしまいがちになります。

「罪悪感」は、誰かを傷つけてしまった、誰かを助けられなかったといった、実にさまざまなことから抱くことが多いものです

しかし、それはとりもなおさず「誰かを愛したかった」という想いから生まれるものです。

そういった意味では、「罪悪感」とは愛の裏返しであり、実に人間らしい感情の一つ、と見ることもできるのかもしれません。

「罪悪感」はあるとしんどいけれど、さりとてそれを消そうとしたり、否定したりするものではなく、癒していくものとしてとらえる方がいいんじゃないでしょうか、というのが昨日のテーマでした。

無理矢理に、「罪悪感なんて無い方がいい」「そんなものは消してしまえ」としてしまうと、その裏側にある愛も否定してしまうことになりかねないからです。

それは、長所と短所の関係に、似ているようにも思います。

無理に短所を直そうとしたり、消そうとしたりすると、無色透明の人間になってしまうようで、苦しいように。

それよりも、短所を受け入れた上で、長所を活かせる環境を考える方が、楽になるものです。

「罪悪感」もまた、あって当たり前のものです。

そして、それは癒していくことができるものです。

2.癒しが起こると「罪悪感」も薄まる

こう書くと、「ニワトリが先か、タマゴが先か」というか、同じことの繰り返しみたいになるのですが、自分を癒すことができるほどに、「罪悪感」は薄まります。

それゆえ、「罪悪感をどうにかしよう」と思ったときに、自分自身を癒していく、という視点は非常に大切です。

自分を癒すこと。

具体的には、さまざまな方法が考えられます。

いままで蓋をしてきた感情と向き合うこと。

自分の歩いてきた道を否定せず受け入れること。

言いたくても言えなかったことを言ってみること。

自分の仕事やパートナーシップの棚卸をしてみること。

もちろん、カウンセリングやセラピーを受けるのも、そのなかのひとつです。

それは、究極的に言ってしまえば、「いままで否定してた自分を、自分が受容すること」と言えると思います。

「だからダメなんだ」から、「それでいいんだ」へ。

それは、悪い意味での諦めや自己正当化では、ありません。

また、だから何もしなくていい、というわけでもありません。

自分を知り、地に足をつけること。

その上で、いまの自分にできることを探し、それを重ねていくこと。

それは、想像以上に地道で、根気が求められることかもしれません。

自分を癒すことは、決して楽なことでもありません。

ときには、自分を知るなかで、「これが自分か…」と嘆きたくなることも、あるかもしれません。

けれども、そうして自分を受け入れ、癒していくと、大きな恩恵が待っています。

「罪悪感」が薄まっていくのも、その一つです。

それゆえ、背負っていた重荷を降ろして、肩の力を抜いて、楽に生きることができるようになります。

3.癒しとは、できごとの意味づけを変えること

自分を癒すこと、あるいは、自分を受け入れること。

それは言い換えると、「自分のなかのできごとの意味づけを変えること」といえます。

「罪悪感」で考えるなら、それを抱くようになった、何らかのできごとがあったわけです。

「いつも大変そうな母親を、助けられなかった」

「ケンカばかりしている家族を、何とか笑顔にしたかったけれど、できなかった」

「自分の気持ちばかり優先して、パートナーにひどいことを言ってしまった」

誰もが、心の奥底に抱いている、そうしたできごと。

そうしたできごとに、「だから私は悪い人間である」「私には人を笑顔にする力が無い」「いつも私は大切な人を傷つける」といった意味づけをしていると、「罪悪感」が生まれます。

だって、悪い人間ならば、罰を受けないといけないですから。

「癒し」とは、そうしたできごとの意味づけを変えることです。

それは、なかなか一人では難しいかもしれません。

信頼できる家族やパートナー、あるいはカウンセラーを頼って、いいと思うのです。

もし、「癒し」が進み、そうしたできごとの意味づけが変わったなら。

どんなふうに、そのできごとを見るでしょうか。

「母親は、私がいたからこそあんなにも頑張れた」

「私には、家族をつなぎとめるホームメイカーとしての才能がある」

「今度は、私がパートナーの気持ちを受け止める番なんだな」

もしかしたら、そんな風に思えるようになっているかもしれません。

それを100%信じることができればベストなのでしょうけれども、まずはほんの少しでいいんです。

「そうなのかもしれない」というくらいに思えたら、もう「癒し」は始まっています。

 

さて、あなたのなかで、わだかまっているできごとは、何でしょうか。

もし、そのできごとの意味づけを、ポジティブに変えることができたとしたら、どんな意味づけができるでしょうか。

もちろん、すぐには出てこないかもしれません。

けれども、考え続けるだけの価値のある問いかけだと思います。

今日は、癒しと罪悪感というテーマでお伝えしました。

ここまでお読みくださり、ありがとうございました。

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