大嵜直人のブログ

文筆家・心理カウンセラー。死別や失恋、挫折といった喪失感から、つながりと安心感を取り戻すお手伝いをしております。

誰も、責めなくていい。もちろん、私自身も。

すべての人間関係は、過ちのない関係です。

誰も責めるにはあたらない、という世界の見方は、「起こっていることは、すべて正しい」とも表現できるのでしょう。

名著「傷つくならば、それは「愛」ではない」(チャック・スペザーノ博士:著、大空夢湧子:訳、VOICE:出版)の一節から。

1.すべての人間関係は「過ちのない関係」である

だれも責めるにはあたりません。

そして、みんなが与えらえた状況のなかでベストをつくしています。

このことに気づいたとき、私たちは自分の人間関係を真実の光のなかに見ることができます。

そして、あらゆる人との関係で進歩しつづけることができます。

しかし、いったん「責め」が起こればいつでも人間関係の成長はとまり、死にいたることでしょう。

 

「傷つくならば、それは「愛」ではない」 p.210

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2.誰も、責めなくていい。もちろん、私自身も。

今日のテーマは心理学というよりも、少し哲学的なテーマのようです。

あまり深く考えず、「ふーん」という感じでお読みくださると、ちょうどいいかもしれません。

だれも責めるにはあたりません。

だれも責めるにはあたりません。

この最初の一文が、深いですよね。

誰も、責めるにはあたらない。

誰も、責めなくていい。

過ちを犯した人も、失敗した人も、罪深き人も。

もちろん、私自身も。

誰かを責める、ということは、とりもなおさず、自分自身を責めている、ということです。

何がしかの形で、自分を責めている部分があるから、それを誰かに映し出す。

その誰かも、私も。

誰も悪くないし、誰も、責める必要もない

何かを責める必要があるとしたら、そこに何らかの判断があるわけです。

正誤善悪なのか、それとも効率性なのか、それは分かりません。

けれども、その判断も、一つの幻想にすぎないのかもしれません。

誰も、責めなくていい。

それは、きれいごとでしょうか。桃源郷でしょうか。

私は、そうは思いません。

3.「起こっていることは、すべて正しい」

「起こっていることは、すべて正しい」

私が心理学を学びはじめたとき、知った金言の一つです。

ただ、あるがまま。

ただ、そのままに、現実を受け入れる。

それは、あきらめでもなんでもなく。

あぁ、これでいいんだ。

このままでいいんだ。

そう思えたなら。

誰かを、あるいは自分を責める必要もなくなります。

いや、誰かを責めないから、目の前の現実を受け入れられる…そう見ることもできそうです。

それは、ニワトリが先か、タマゴが先か、のようなものかもしれません。

いずれにせよ。

誰も責めるにあたらない。

あなたも、わたしも。

もちろん、常に完全でなくてもいいんです。

時に責めてしまうときがあっても、仕方ないんです。

けれども。

思い出せばいいんです。

誰も責めるにはあたらない。

わたしも、そして、あなたも。

何度でも、思い出しましょう。

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