大嵜直人のブログ

文筆家・心理カウンセラー。死別や失恋、挫折といった喪失感から、つながりと安心感を取り戻すお手伝いをしております。

自分自身をどう扱っているかが、他人との関係に反映される。

他人との関係は、自分自身との関係の反映。

そんなテーマを、「投影」の心理からお伝えします。

名著「傷つくならば、それは「愛」ではない」(チャック・スペザーノ博士:著、大空夢湧子:訳、VOICE:出版)の一節から。

1.人との関係は、自分自身との関係の反映

もし、人から酷使されたりいじめられたりしているのなら、それは、あなた自身が自分を酷使したりいじめているからにほかなりません。

また、もしだれかに何かを強要されているとしたら、あなたは何を自分自身に強要しているのでしょうか。

あなたの人生を深く見つめてみましょう。

人から尊敬されないのなら、あなた自身の何を尊敬していないのでしょうか。

 

人間関係でいやなところがあるのなら、自分自身の扱い方を変えましょう。

人があなたを罰していると感じたら、あなたの心の奥では罪悪感を感じ、自分が罰せられるべきだと感じているのです。

でも、それはまちがいなのです。

 

「傷つくならば、それは「愛」ではない」 p.265

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2.他人から、自分を知る

自分自身との関係が、周りの人との関係に反映される。

今日のテーマは、よく耳にするテーマかもしれません。

麻雀強者に学ぶ、自分を知る方法

自分を深く知るためには、自分と向き合わないといけない。

それはそうなのですが、その逆に、自分の周りの人をよく見ることも、自分を知るための方法の一つといえます。

陰極まれば陽となす、の通りですね。

自分を知るために、他人を見る。

そのことを考えると、学生時代によく遊んでもらった「麻雀(マージャン)」を思い出します。

学生時代に、よく麻雀をしていました。

麻雀には、伏せられた牌=未知の情報があるゲームです。

将棋やオセロは、すべて情報がオープンになっているゲームとは、性格が違います。

言ってみれば、麻雀とは、伏せられた牌の読みあいという側面があります。

さて、麻雀が強い人は、この山読みの精度が高いわけです。

そうした麻雀強者は、どうやって伏せられた牌を推測しているのか。

それは、自分の手牌という分かっている情報。

そして、相手の捨て牌から、相手の手を推測する。

そこから残った牌が、伏せられた牌だと推測できるわけです。

言い換えると、相手を知ることで、自分の手の行く末を想像しているわけです。

これが強い人になるほど、その精度が高くなります。

え?私ですか?

私はもちろん、自分の手ばかり見てかわいがっている、俗にいう「カモネギ」でしたよ…

下手の横好きとはよく言ったものです笑

それはどうでもいいのですが、

相手を知ることで、自分を知る。

なんだか、今日の話に似ているので、少し思い出していました。

「投影」から学ぶ、自分を知る方法

どうでもいい話でした、すいません笑

ちゃんと心理学の面から説明するならば、やはり「投影」の心理になるのでしょうか。

私たちは、自分たちの心の内面を、周りの世界に映し出します。

同じ空を見ていても、「寂しそうな空だなぁ」と感じる人もいれば、「なんて美しい夕焼け!」と感じる人もいる。

あるいは、過去に出会った人を、いま目の前の人に投影する。

自分の母親を、パートナーに投影したりして、いろいろややこしいことになったりしますよね。

そして、自分の価値観や考えを、人やものごとに投影する。

これを突きつめていくと、「世界はすべて私がつくっている」という視点になるのでしょう。

さて、そうした「投影」の視点で見るいくと、他人を見ることは自分自身を見つめることと同じことになります

引用文にある例の通りですよね。

自分の周りで争いや葛藤が絶えないように見えるのだとしたら、それは自分自身の内部で争いや葛藤を抱えていることの「投影」である、と。

うわべばかり言う人ばかりが、周りにいるのだとしたら、それは自分に対して何がしかの嘘をついているのかもしれません。

周りの人やできごとは、自分自身の「投影」である。

周りの人との関係は、自分自身との関係を教えてくれるようです。

3.だからといって、自分を責めなくてもいい

さて、そうだからといって、自分を責める必要はありません。

この「やさしい心理学」を書き始めたときから、それは言い続けてきたことです。

カウンセリング・マインドを、届けたい。 - 大嵜直人のブログ

心理学を、自分責めに使わない。

あなたの周りに、あなたにひどい扱いをする人がいたとして。

もし、あなたもまた、あなた自身をひどい扱いをしている、それが事実だったとしても。

それは、悪いことでも、責められることでも、なんでもありません。

そのことで、自分自身を責めなくてもいいんです。

ただ、そうだった。

そうせざるを得なかった、なにかがあったのでしょう

私のカウンセリングでは、その「なにか」を探していきたいと思っています。

そうせざるを得なかった。

それは、悩みの原因でもあるのでしょうけれども、裏を返せば、かけがえのない才能でもあるからです。

人の気持ちを推し量ることができすぎるがゆえに、自分の気持ちを抑え込んだり。

たいせつな人への愛が深いがゆえに、自分を罰してしまったり。

それは、しんどいことですし、苦しいことかもしれないけれど。

けれどもそれは、あなたがあなたであるがゆえの、才能であると思うのです。

カウンセリングでは、そんなことをお伝えしたいと、いつも思っています。

 

今日も、ここまでお読みくださり、ありがとうございました。

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