大嵜直人のブログ

文筆家・心理カウンセラー。死別や失恋、挫折といった喪失感から、つながりと安心感を取り戻すお手伝いをしております。

いつかの厨房のおはなし。

夢、というのは不思議なもので。

まったく奇想天外な夢を見ることもあれば、過去の思い出のような夢を見ることがあります。

どちらも「夢」という言葉でくくられるのが、面白いところなのですが、ふとした目覚めに、過去の人を思い出すことがあります。

はるか平安の昔には、夢に出てくる人は、自分自身を想っている人、と信じられていたと聞いたことがあります。

自分自身の側が強く想っているから、眠っているときにまで引きずる、という感じがするという、現代の感覚からすると逆なのが面白いものです。

どちらがほんとうなのかは、さておき。

夢に出てくる人は、自分に会いに来てくれたと思うと、時に見る夢もまた、趣深いものです。

先日、ある亡くなった方が、夢に出てきました。

私が前職で勤めていた時代に、お世話になった方でした。

取引先の代表の方で、私が出会った頃に、すでに還暦を過ぎていたように覚えています。

60過ぎて、若い人と飲みに連れていったりして、自分が同じ歳になったときにも、そうしたいなと思わされる方でした。

当時は1年に1回、秋の催事で、一週間仕事をさせていただきました。

途中から、その催事が春にも開催されるようになり、1年のなかで2週間、一緒に仕事をさせていただくことになりました。

「こんなにいっぱい働いたら、くたばっちまうよ」

そんな憎まれ口を、よく私に笑いながら言っていました。

なんだかんだ言いながら、目をかけてくださっていた気がします。

寡黙といえば聞こえはいいですが、いつも仕事でいっぱいいっぱいの私に、そのように関わっていただいたのは、ありがたい限りでした。

寂しさを抑えて、ワーカホリックに働く私にとって、その仕事の上でのかかわりが、大きなつながりだったように思います。

その勤めていた会社を辞めることを報告したとき。

何も仰らず、初めて見る、なんともいえない表情をされていたのを思い出します。

少し落ち着いた時間の厨房で、お話ししたように覚えています。

慌ただしい営業時間のこと、人の出入りは結構あるはずなのに。

なぜか、私とその方しかおらず。

換気扇の無機質な音が、ぶーんとうなっていました。

その方は一言ぽつりと、

「お前が、肚を割って話せる相手が一人でもいたらな」

と仰いました。

そうかもしれないですね、と答えたように思います。

自分が心を開いて話せる相手。

それは、自分が求めたときにしか、現れないものです。

当時の私は、まだ自分の奥底にある傷の痛みが強すぎて、肚を割るどころではなかったのでしょう。

それもまた、必要なプロセスだったようにも思います。

前職を辞めてからも、私を気にかけてくださって、何度かお会いしました。

いろいろ厳しいけれど、海外に出ていくことにした、と話しをされていました。

けれど、その道も半ばで、病を患って鬼籍に入られたことを人づてに聞きました。

いただいた恩は、返せないままになってしまったなと感じるのは、まあ罪悪感の強い私らしいといえば、私らしいのかもしれません。

夢のなかだったとしても。

その方が、気にかけてくださったとしたら。

ありがたいものだな、と感じます。

「まーたサボってやがるのか。おめえは手が遅いんだから、人一倍がんばれや」

いつかの厨房のように、そんなことを言ってくれたのかもしれません。

伝えられないこと、返せない恩ばかり、溜まっていくのが、生きることかもしれません。

けれども、夢だとしても、たまにそうして会えるのなら、なんだかうれしくも思うのです。