大嵜直人のブログ

文筆家・心理カウンセラー。死別や失恋、挫折といった喪失感から、つながりと安心感を取り戻すお手伝いをしております。

時には、昔の話を。 ~夕暮れ時の社会科研究室の思い出

ずいぶんと、日が長くなりました。

あたりが明るいので油断していると、もうこんな時間!ということも。

冬の夕暮れは家路を急がせますが、春のそれはどこかあたたかで、観る人をぼんやりとさせるようです。

瞬間、瞬間で変わっていく夕暮れの色。

オレンジ色から、少しずつ赤みが強くなっていきます。

その色の移ろいは、私の高校の社会科研究室を思い出させます。

私の通っていた高校に、ある社会科の先生がいました。

小柄な男性の先生でしたが、その方を仮に長野先生と呼ぶことにします。

私は、高校2年生のときに、長野先生に倫理の授業を受け持ってもらいました。

倫理、というのは、まだ中二病をほんのり残していた当時の私にとって、授業の科目というよりも、聞いているだけで面白いものでした。

哲学の歴史から、そして宗教のことなど、人の知と情についての話題は、聞いていて飽きないものでした。

はるか昔のギリシャの哲学者たちが、世界をどうとらえていたのか。

あるいは、善く生きるとは、どんなことなのか。

そうした話題もさることながら、長野先生の話が、面白かったように覚えています。

長野先生は、朴訥と話す方でした。

不思議なことに、それでも聞き取りにくいということはなかった気がします。

物理学を修め、核融合に関する研究をしていたが、哲学を勉強したくなり教員になったと言っていましたが、どこまで本当か、よくわかりません。

物理学と哲学は、とても近いと言っていたのを思い出します。

教科書の内容を離れて、人の知性についての深い見識を、よく話してくれました。

ただ、長野先生の話は、深く考えさせられることが多かった気がします。

私の周りの友人たちには不評で、退屈過ぎるとよく言われていましたが笑

長野先生は、いつも職員室ではなくて、社会科研究室にいました。

それがどこか、世俗と離れたような、隠遁者のような感じを受けたものです。

今では考えられないことですが、その社会科研究室には灰皿が置いてあって、長野先生はよく紫煙をくゆらせていました。

どういうきっかけか分かりませんが、放課後にその社会科研究室で、長野先生の話を聞くようになりました。

授業のときと変わらない、朴訥とした話し方で、いろんなことを話してくださいました。

ぷかぷかと煙草をくゆらせながら。

時に考え込んだりしながら。

長野先生は、いろんな話を教えてくれました。

哲学のことから、人生のこと、いろんなことを話したように思います。

覚えているのは、人間が自分自身を認識するということは、どういうことか?というお話です。

とかく自我を重んじる現代の私たちは、簡単に自分自身を認識できると思いがちですが、そんなに簡単でもないようです。

他者との関わりなしに、人は自分というものを認識できるのでしょうか。

それを、「できない」と考えたのか、2500年前のお釈迦様だった、と長尾先生は言っていました。

唐突に出てきた「お釈迦様」という語に、少し驚いたのを覚えています。

お釈迦様と聞くと、仏壇の前でお経を上げていた祖父を思い出す当時の私にとっては、実に興味深く、意外なお話だったことを覚えています。

お釈迦様のことは差し置いても、他者との関わりなしに、人は自分自身を認識できないようには思います。

それは、心理学を学んだり、カウンセリングをしているなかでも、よく感じることでもあります。

長野先生のお話とは、少し違う文脈かもしれませんが。

自分自身を知る、ということはどういうことだろう。

ぼんやりとそれを考える私の横の窓からは、夕暮れの空が広がっていました。

柔らかな光は、校舎をオレンジ色に染めていきました。

長野先生の話と同じくらいに、そのオレンジ色を、私はよく覚えているのです。