大嵜直人のブログ

文筆家・心理カウンセラー。死別や失恋、挫折といった喪失感から、つながりと安心感を取り戻すお手伝いをしております。

全力で自分を与えようとすることは、自分が受け取れる愛のレンジを広げてくれる。

「コミットメント」とは、自分のできるあらゆる方法で、自分自身を与えようとする選択のことを指します。

そうすることによって、私たちは多くのものを受けとることができるようになります。

名著「傷つくならば、それは「愛」ではない」(チャック・スペザーノ博士:著、大空夢湧子:訳、VOICE:出版)の一節から。

1.コミットメントを通じてのみ、受けとることができる

多くの人が、コミットメントをしてしまったら、そのあとにはもう人生はないのではないかと感じています。

しかし、それはコミットメントではなく、ちぢこまることや自己犠牲、自分を抑えることなどを指しているのです。

たぶん愛の奴隷になってしまったり、認めてもらうために何かをしたときのことを思い出して、そのように感じるのでしょう。

とくに「自立」しているほどそうなりがちです。

自立している人ほど、ふたたび犠牲にはまることを怖れるのです。

しかし、自立も犠牲も、コミットメントとは何の関係もありません。

コミットメントというのは、知っているかぎりのあらゆる方法で自分自身を与えるという選択のことです。

そうすれば自然にたくさん受けとれるのです。

コミットメントという言葉は、もともと「ともに送る」という意味です。

あなたがだれかに自分自身を送ろうとする、つまり自分自身を与えるという決意をするときに、相手から受けとることができるのです。

 

「傷つくならば、それは「愛」ではない」 p.415

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2.「コミットメント」とは全身全霊で与えること

今日のテーマは、「コミットメント」です。

昨日の記事でも扱いましたが、今日はまた少し違った角度からお伝えしてみたいと思います。

肚をくくる、選択肢を持つ、自分の価値を認める

「コミットメント」の心理について、おさらいしておきましょう。

心理学において「コミットメント」とは、覚悟や肚をくくる、決心するといった意味になります。

この語群だけを聞くと、どこか任侠の世界のような感じがするのは、私だけでしょうか笑

それはともかくとして、何らかの問題や、あるいは自分のビジョンに対して、肚をくくって向き合った状態を指します。

問題やビジョンが、自分の器のなかにすっぽりとおさまったような、そんな状態ともいえるのかもしれません。

「肚をくくった人は強い」という言葉がありますが、まさにその通りで、「コミットメント」ができると、不思議とプロセスは動き出すものです。

しかし注意したいのは、ここでいう肚をくくるとは、問題の解決や結果にこだわることではありません。

そうしたこだわりは執着であり、それは「こうなるといいのに」という期待を呼び、私たちの心を苦しめるものです。

「コミットメント」とは、そうではないんですよね。

その逆で、いくつもの選択肢のなかから、「これを選ぶ」と決めることであり、決め続けることが、その本質といえます。

私たちの心は、感情とともに揺れ動くものです。

それでも、「こうしたい」と何度でも選び続ける強さが、「コミットメント」といえます。

だからこそ、「やっぱり、やめよう」という選択肢を選んでも、全然いいわけです。

どちらの選択肢を選んでも、きっと大丈夫。

けれども、自分はこれを選ぶ。

常に、そんな選択をし続けるのが、「コミットメント」といえるのでしょう。

そのカギになるのが、自分で自分自身の価値を認める、ということです。

自分が自分の価値を認められていないと、引用文にあるように、犠牲をしたり、おびえて縮こまったりしてしまいます。

逆に、自分に価値を認めるほどに、選択肢を持つことができ、またどれを選んでも大丈夫という自信がつきます。

だから、「コミットメント」をするためには、自分で自分の価値を認めることが、大切になります。

昨日は、「コミットメント」のそんな心理について、お伝えしました。

「コミットメント」とは、全身全霊で自分を与えること

さて、ようやくここからが今日の本題です。

相変わらず、前振りが長いですね笑

そうした「コミットメント」をすることができると、私たちの行動が変わっていきます。

それは、全身全霊で自分自身を与えるようになっていきます。

コミットメントというのは、知っているかぎりのあらゆる方法で自分自身を与えるという選択のことです。

自分のすることのできる、あらゆる方法で、与えようとすること。

それが、「コミットメント」の本質です。

けれども、それを逆から見ると、「コミットメント」するのが怖いときは、そうすることが怖いんですよね。

犠牲的に与えて、自分が報われないと感じた経験。

また、相手の奴隷になってしまったような感覚に陥ったこと。

あるいは、どれだけ与えても、相手に受け取ってもらえなかったり、自分を認めてもらえなかったりした経験。

そんなことがあると、自分を全力で与えることが、怖くなります。

だからこそ、上に書いた通り、自分の価値を認めることが、何よりも大切なカギになります。

自分に価値を認めていないと、犠牲的になってしまったり、相手の反応を気にしたり、認めてほしい自分が出てきたりするものです。

そうすると、自分を全力で与える=コミットメントすることが、なかなか難しくなります。

自分の価値を認め、受け入れているからこそ、自分を全力で与えることができる。

かくも、「コミットメント」と、自分の価値を認めることは、密接な関係にあるようです。

3.与えることによって、受けとることができる

「コミットメント」とは、相手に対して、世界に対して、全身全霊で与えること。

そうすると、私たちは受けとることができるようになります。

それは、「コミットメント」がもたらしてくれる、大きな恩恵です。

あなたがだれかに自分自身を送ろうとする、つまり自分自身を与えるという決意をするときに、相手から受けとることができるのです。

私たちは、自分が与えていないときに、周りから何かを受けとることはできません。

また、自分が与えている以上のものを、受けとることもできません。

それは、古今東西どこでも変わらない真実のようです。

ただ難しいのは、だからといって、「受けとるために、与える」という意識は、「コミットメント」の本質とは外れていることです。

それは、相手と「取引」をしているだけであり、相手の気持ちは抜け落ちてしまいます。

よくあるのが、「私がこれだけ与えてるんだから、あなたも同じだけ返してよ!」と思ってしまうことです。

はい、誰でもありますよねぇ…ほんと泣

そうした「取引」になってしまうと、相手がそれを求めているのかどうか、それを欲しているのかどうかといった、相手への視線や、相手の立場の尊重が、するりと抜け落ちてしまいます。

勝手に与えようとして、勝手にお返しが無くて、プンスカしている…これではまるで、自作自演ですよね。

はい、私も与えたがりの性質なので、よくやってしまいますが笑

もう一度、「コミットメント」の本質に戻りましょう。

相手が、どんな状態なのか。

いま、相手はどんな気持ちを感じているのか。

その上で、相手が何を求めているのか。

それを必死に考え、そして自分のできる形で与えようとすること。

そうしていくことが、「コミットメント」といえます。

そうしていくと、私たちの受けとる間口もまた、広がっていきます。

「あぁ、あの人がこうしていたのは、私を大切にしていたからなんだな」

そんな風に、受け取れる愛のレンジが広がっていくわけです。

これが「コミットメント」、ひいては自分自身を全力で与えようとすることの、大きな恩恵なのだと思います。

私たちは、自分自身のすべてを与えることによって、受けとることができるようです。

今日は、昨日に続いて「コミットメント」の心理と、与えることの恩恵について、お伝えしました。

ここまでお読みくださり、ありがとうございました。

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