昨日に続いて、カウンセリングを受けての私の個人的な想いを書きたいと思います。
カウンセリングを受けると、自分の立ち位置が揺れます。
いままでと同じではいられない、という感じでしょうか。
癒されると、世界観、人間観、考え方、会話のなかの認識が、すべて変わります。
そのチューニングが終わるまで、いままでと同じようには語れないし、書けないように感じるのです。
という言い訳で、いつもの心理学的な記事を楽しみにされていた方には、申し訳ございませんが、そのような言い訳で笑、今日もぼんやりと思っていることを書きたいと思います。
今日ぼんやりと考えていたのは、「もういい加減に、自分自身の光を認めないといけない」という
書いてみると、あんまり「ぼんやり」でもないですね笑
自立的な人に多い傾向ではありますが、私は生粋の受け取りベタです。
いやぁ、これでもね、「受けとろう、受けとろう」と、自分を癒しながらさんざんやってきたわけです。
それでも、周りの方が私に与えてくださった好意や愛といったもののうちの、ほんの一部しか、受けとってこなかったと感じます。
そこに自覚もあり、たんまりと罪悪感もあります。
自立を手放して、自分の偉大さを受けとりましょう。
はい、私自身もよくここで言葉にしてお伝えしております笑
それはもちろん真実であり、とても大切なことです。
けれども、それが自分自身に対してどうか?と問われると、疑問符がつくわけです。
受け取る、あるいは自分を満たすこと。
自分の周りの人に、与えること。
それは、車の両輪のようなものであり、どちらかが欠けても、なかなかうまくいかないものです。
カウンセリングのなかで、悩みや問題をお伺いします。
そうしたお話の中の痛みや苦しさと、ともにあろうとします。
けれども、必ず、この視点を持ち続けていたいといつも思っています。
「このクライアントさまの魅力は、どんなところだろう」
「どこに、この方の才能があるのだろう」
「どうしたら、それが発揮できるようになるのだろう」
そこを見続け、それを伝え続けたいと思っています。
けれども、そうした視点で見つけられるのは、自分自身のなかに認めたものだけなんです。
私たちは、自分の中に見ている価値や才能、あるいは愛の形しか、相手の中に見ることはできません。
よくいわれるところの、「投影の法則」ですよね。
カウンセラーが扱える問題の深さというのは、そのカウンセラー自身が自分と向き合ってきた深さと、同じです。
言葉を変えると、価値や才能、魅力、あるいは希望というものは、自分の中に認めた分しか、クライアントさまのなかに見ることはできません。
もう、自分のエゴで、受けとれないとか、受けとりたくないとか、言っている場合ではない。
今日は、ぼんやりとそんなことを考えていました。
といっても、いますぐどうにかできるものでもありません。
いきなりぜーんぶ受け取れたり、自分天才!と思えたら、それまで苦労していないのでしょうから笑
ただ、自分のエネルギーのベクトルの向きを、少し変えたいな、とは思います。
そうすることで、これから時間が経つごとに、変化は大きくなるのでしょうから。
どんな形であれ、自己探求と自己研鑽は、カウンセラーを続ける限り、生きている限り、続くのでしょう。
「自分のために、受けとる」
という方向では、私は受けとることができませんでした。
「愛を伝えた相手のために、受けとる」
という視点でも、私は受けとることができませんでした。
そこでブロックになっている心のパターンや観念といったものに、向き合ってはきましたが、まだまだ難しいようです。
こう書くと、「受けとらない」ということに関しては、ほんとガンコだな、と自分でも思います笑
「クライアントさまに与えるために、受けとる」
なんだかその響きは、私にとってとても自然な響きのように聞こえます。
どこまでも、与えたいんです。
もっともっと、クライアントさまの光を、その本質を、見つめられるようになりたいのです。
そのためには、もう肚をくくって、本気で自分の光と向き合わないといけない。
そんなことを、ぼんやりと考えていました。
ぼんやり、でもないですね笑
「なぜ、カウンセラーになろうと思ったんですか」
カウンセリングの中で、そんな質問がありました。
いろいろ表面的な理由はあります。
「誰かの助けになりたい」というよそ行きの理由から、「愛されたい、チヤホヤされたい」という我欲の理由まで。
でも、そういうのを全部ぶち抜いたところの理由は、ちがいます。
「ここなら、自分のすべてを全力で出せると思ったから」
ほめられた理由でもないかもしれませんが、偽りのない本音です。
それは、私の中のコアな部分で、揺るぎない確信があります。
それはまた裏を返せば、全力を出せない自分がいて、そこに何がしかの痛みや傷があるということでもあります。
それはそれとして、これから向き合って癒していけばいいのでしょう。
自分の肚の底からわきあがるエネルギー、あるいは情熱。
それを全力で、人を慈しむ方向に差し向けたい。
どこまで深く、クライアントさまの可能性を、才能を、光を、信じ続けたいのです。
ときにそれを言葉に乗せて、これを読んでくださるあなたへ、届けていきたい。
そんなことを、今日はぼんやりと考えていました。
いややっぱり、ぼんやり、でもないですね笑