大嵜直人のブログ

文筆家・心理カウンセラー。死別や失恋、挫折といった喪失感から、つながりと安心感を取り戻すお手伝いをしております。

お酒の力と、他人との距離を詰めた後の罪悪感について。

さて、私が断酒をして1160日が経過しました。

3年2カ月と少し。ずいぶんと長く続けてきたものです。

このお正月も飲まず、淡々としたものでした。

とはいえ、迎春用のお菓子が自宅にあったため、それをパクパクと食べておりましたが・・・アルコールの代わりが、甘いものになったのは、確かなように思います。

 

先日、友人とお話ししている中で、お酒を飲んだ翌日の罪悪感というお話になりました。

私もひどく飲み過ぎた翌日は、ものすごい罪悪感に苛まれていたことを、懐かしく思い出しました。

・・・あれ、何なんでしょうね。

一緒にお話ししていた方は、二日酔いになるけれど、罪悪感は感じないなぁ、と言っていたので、個人差が多分にありそうです。

遥か彼方の記憶を呼び起こしてみると、お酒をよく飲んで、すごく楽しかったのに、翌日はどよーんと、自分の頭の上に真っ黒な雲がある感じがしておりました。

まあ、二日酔いでひどい頭痛と、吐き気といった、体調が最悪なのは差し引いても、お釣りがくるくらいの罪悪感がありました。

それは、どこか「自分はとんでもないことを、しでかしてしまった」、あるいは「自分は取り返しのつかないことをしてしまった」というような、後悔とも何とも言えないような感覚でした。

もちろん、酔っ払って帰れなかったり、持ち物をなくしたり、まあいろいろとやらかしていたのは事実なのですが、それはそれとして。

それとは別の、何か得体の知れない罪悪感を覚えていたようです。

 

あれは何なのだろうと、ぼんやり考えていましたが、ふと、一つには他人と距離を縮めることへの怖さなのかなぁ、と思いました。

お酒を飲んで酔うと、とても気分がよくなって、一緒に飲んでいる方との距離が近くなります。お酒の、偉大な効用ですね。

しかしながら、そのお酒でバグった距離感というのが、どうもしらふに戻った私にとって、二日酔いや財布やスマホをなくすことよりも、怖いことだったのかもしれません。

だから、いっしょに飲んでいた方と、再びしらふでお会いする時に、とてもドキドキして、気恥ずかしかったり、申し訳なさを感じたりしていました。

失礼なことを言ったり、暴言を吐いたりといったことではなくて、自分の内面を吐露したり、普段語ることのない、青臭い希望だとか夢だとか、あるいは、一緒にに飲んでいる方への感謝だとか・・・そういったことを酔って気持ちよくなって語ったことに、ものすごく罪悪感を感じていたように思います。

まあ、往々にして酒の席のことですので、取立ててどうこうということは、何もなかったのですが。

 

そう考えると、やはり人との距離を詰めることが、私にとって結構なタブーなようです。親密感の怖れ、とでも申しましょうか。

お酒の力を借りなくては、距離を詰めることができなかった。そして、距離を詰めてもしらふに戻ると、どうにも申し訳なさというか、罪悪感を覚えてしまう。

自分が汚れたもの、穢れたもののように感じるから、人と距離を縮めると、申し訳なく感じる。

なんともまあ、わかりやすい罪悪感というか、何というか・・・我ながら、めんどくさいものです笑

しかし、ここで繰り返し書いていますが、だからお酒がいい/悪いという訳では全くなくて、ただ、そうだったんだろうなぁ、と懐かしく思うわけです。

お酒の偉大な力を借りなければ、人との距離を縮められなかった。そして、それを使って縮めたとしても、「たいへんなことをしてしまった」というような罪悪感を抱えてしまう。

何ともいじらしいというか、そういった感じがします。

私がお酒をやめたのは、そうした力を必要としなくなったからなのでしょうか。

そうとも言えるし、そうでないとも言える。

ただ、自分がそうだったんだ、と気付けるようになったことは、大きなことなのかもしれません。

 

人間関係の距離感を詰めることが難しく感じることは、問題といえば問題ですが。

そこには、両親との突然の死別や、親しい友人が突然いなくなる経験や、あるいは信頼していた人から裏切られた経験といった、いろんな傷や痛みに原因を見ることもできましょう。

だから、それが悪いという訳では全くなくて。

それがあったからこその、恩恵というか、才能というか、そういったものが、あると思うのです。

親しい人間関係がつくれない方へ共感できるというのも、そうでしょうし、

自分の世界を築いていけるというのも、そうでしょうし、

距離を詰められないからこそ、人間関係や人の縁を大切にできたりすることも、そうでしょうし、

周りの人に安心感を与える、というのもあるかもしれませんし、

だからこそ、とても深い関係が築けたりもするかもしれません。

 

ある意味で、問題は気づいたらそれで終わりです。

それをどうこうしようとすると、時に自分らしさを失ったりします。自分に原因があったから、その問題が起こったのだと考えたりすることで、自責の念に囚われてしまったり。

そうではなくて。

ただ、起こった問題をそのままに見つめること。それが起こったのは、表面的にはその人の過去の傷であったり、痛みであったりが原因のように見えるかもしれません。

けれどその裏には、その人にしかない、唯一無二の才能や個性といったものが、隠れています。

私自身のそうしたものを、引き続き探していくとともに。

ご提供しているカウンセリングの中でも、そのように目の前の方を見ていきたいと思います。

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