大嵜直人のブログ

文筆家・心理カウンセラー。死別や失恋、挫折といった喪失感から、つながりと安心感を取り戻すお手伝いをしております。

接着剤のような「罪悪感」の心理と、それを癒すための視点について。

「癒着の陰に罪悪感あり」といわれるように、「罪悪感」があると何かと心理的にべったりとくっついてしまいます。

そんな「罪悪感」の心理と、それを癒すための視点について、お伝えします。

名著「傷つくならば、それは「愛」ではない」(チャック・スペザーノ博士:著、大空夢湧子:訳、VOICE:出版)の一節から。

1.罪悪感は、逃げだしたいものごとをいっそう強化する

罪悪感があると、つねにあなたの頭のなかのどこかに、逃げだそうとしているものごとがこびりついていることになります。

しかし「あなたが強化すること」が実現するのです。

これはもっとも簡単な心理学的事実です。

 

この妄想があると、もう二度とまちがわないように、自分自身からも人生からも、完全に引きこもってしまうかもしれません。

ときには妄想にとりつかれ、かえっていちばん望まない事態をひき起こしてしまうこともあります。

罪悪感に対して防御することは悪循環になるのです。

 

「傷つくならば、それは「愛」ではない」 p.349

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2.接着剤のような「罪悪感」

今日のテーマは、「罪悪感」でしょうか。

何回目でしょうかね、「罪悪感」を取り上げるのは笑

「〇年連続〇回目の出場」の甲子園常連校ような感じになっているような気もしますが、張り切って書いてみたいと思います。

「癒着」の心理

「癒着」という心理があります。

読んで字のごとく、誰かや何かに対して、べったりとくっついてしまう心理のことを指します。

その対象は、親だったり、パートナーだったり、会社だったり、子どもだったりします。

べったりとくっつくのは「心理的な距離」なので、物理的な距離はあまり関係がありません。

なので、離れて暮らしている人や、時にはもう亡くなっている人に対しても、「癒着」の心理は起こりえます。

「癒着」していると、二人羽織をしているような、そんなしんどさが常にあります。

ずっと、その人やものごとが、頭から離れない状態ですね。

そして、その関係性がずっと変化しないことも、「癒着」の特徴であり、しんどさの一つです。

言ってみればそれは、
「お風呂に入るときも、お布団でYoutubeを眺めているときも、トイレに入るときも、一緒にいないといけない。それが365日、ずーっと続く」
そんな状態とも言えます。

どんなに好きな人であっても、それはさすがにしんどいですよね。

「もう、いいかげんに一人にさせて!」と、発狂しそうになるのではないでしょうか。

今日の引用文にある、「逃げだそうとしているものごとがこびりついている」とは、そんな状態といえそうです。

「もう、いい加減に解放されたいんだけど、それでも、頭の中から離れてくれない」というように。

誰でも、そんな苦しい想いをされたことが、あるのではないでしょうか。

「癒着」の接着剤は「罪悪感」

さて、こうしたべったりとくっついてしまう「癒着」の心理。

そのくっついてしまう原因の一つに、「罪悪感」があります。

いわば、「罪悪感」を接着剤にして、人は「癒着」するのですね。

「罪悪感」とは、自分は「罪」を犯した悪い人間であり、罰せられるべきだと感じる感情のことです。

それゆえに、自分を幸せから遠ざける選択をしたり、自分を厳しく罰する方向ばかりに進もうとします。

だって、罪人は罰を受けないといけないですし、幸せになるなんてもってのほかですから。

「癒着」してしまう対象には、ほぼ必ずと言っていいほど、「罪悪感」の感情が張りついています。

「私は全然、いい娘じゃなかった。いつも母に迷惑をかけてきた」
「あんなに尽くしてくれる彼女に対して、僕なんか何もしていない。申し訳ない」
「仕事があまりできない自分を、会社は雇ってくれているんだ」
などといったように。

そして、そう思う分だけ、
「もう、間違わないようにしないといけない」とか、
「これ以上、罪を犯してはいけない」とか、
「新たに迷惑をかけてはダメだ」とか、
そんなことを感じてしまいます。

…書いていて「ずーん」と重くなってきましたが、読んでいるあなたも、そう感じるかもしれません笑

そういった「重さ」もまた、「罪悪感」のひとつの特徴です。

まるで自分ひとりだけ、10倍、100倍の重力を背負っているような、そんな「重さ」。

それゆえに、なかなか自分から動くことができなくなりますし、引きこもりたくもなります。

「罪悪感」が「癒着」を生み、そしてその関係性が硬直化することにより、出口のない、光が見えない感覚に陥ったりします。

このように、「罪悪感」と「癒着」のあいだには、密接な関係があります。

3.「罪悪感」を癒すための視点

愛しているからこそ「罪悪感」を抱くし「癒着」もする

さて、こうした「罪悪感」ですが、人にとって原初的で、あまりにもありふれた感情であるがゆえに、なかなか一朝一夕に癒すことは、難しいものです。

程度の差こそあれ、誰もが「罪悪感」を持っていますし、「罪悪感」を完全になくすことは難しいものです。

(それは、感情というものをなくすことができないことと、似ているのかもしれません)

ですから、「罪悪感」を敵視して、それをなくそうとするよりは、付き合い方を考えていく方が、いいのでしょう。

ゆっくり、じっくりと、時間をかけていいんです。

 

さて、そんな「罪悪感」ですが、そもそも論として、「自分のなかに愛情があるからこそ、罪悪感を抱く」ものです。

これは「問題」と似たような構造ですが、大切なものにしか、私たちは自分の心を差し向けません。

「罪悪感」を抱くのは、愛情を持っているがゆえに、です。

だからこそ、「癒着」は切るのがしんどいし、時間がかかるともいえます。

「罪悪感」を持つことは、悪いことではない。

むしろそれは、あなたの愛情のありかを示していると見ることもできます。

それだけ、愛したかったんですね、と。

それだけ、大切にしたかったんですね、と。

愛しているから「罪悪感」を持つし、「癒着」もするんだ。

そう思うだけで、救われる何かがありませんでしょうか。

ほんとうに、罪だったのだろうか?

さて、「罪悪感」を癒していくには、感情を解放していくことが必要です。

それは「罪悪感」に限ったことではなく、癒しの基本でもあります。

自分が感じたくないために、抑圧してしまった感情、あまりに感じることが嫌で、封印してしまった感情。

それを、感じていくことが、「罪悪感」を癒すことへとつながっていきます。

もちろん、一人でしなくても大丈夫です。

一人で感情を感じるというのも、難しいものですから。

誰かに話すことで解放される感情が、あります。

「罪悪感」もまた、感じていくことで、少しずつ、少しずつ、癒えていきます。

そして、「罪悪感」を抱いてしまった、なんらかのできごとがあったとしても。

それは、罪を償わなければいけないできごとなのでしょうか。

けっして、そうではないのが、真実だと思います。

だれもが、まちがいを犯します。

けれども、まちがいは正すことができます。

そして、そこから何がしかの知恵と恩恵を、得ることができます。

まちがいが、あなたの光を損なうことは、ありません。

ただ、あなたがそれによって自分を責めてしまうときにだけ、あなたの光は曇ります。

そういった意味で、
あなたは、なにもまちがっていません。

 

そうはいっても、人は「罪悪感」を抱いてしまうものですし、自分を責めてしまうものですけれどね笑

けれども、そうした「罪悪感」の根源には、あなたの美しい愛情があることもまた、真実だと思います。

私は、あなたの真実を、見続けたいと思うのです。

 

ここまでお読みくださり、ありがとうございました。

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