子どものころの出来事が、性的虐待だったのかもしれないと感じたら。
まずは、そう感じたことを否定せず、ご自身をいたわってあげてください。
誰であっても、人の尊厳を傷つけることをしていいわけはありません。
それを、何度でもお伝えしたいと思います。
オンラインカウンセリング無料相談・ココロノマルシェに寄せられたご相談に、回答させていただきます。
【母からの性的虐待?】
話しにくいことなのですが、
私は一度、父親の前で、母の胸を吸わされたことがあります。
10歳くらいだったような気がします。
小さかったので意味はよくわかりませんでした。
母はよくお風呂上りに裸で家を歩き回っていました。
昔ぎょう虫検査というのがあたと思うのですが、
私がトイレで一人ですればよいものの、
母の前で四つん這いにされされました。すごく恥ずかしかったです。
ごくたまに、母に性的な事をされている夢を見ます。
もしかして、これ以外にも記憶に埋もれてしまった何かをされていたのではないだろうかと気持ち悪くなります。
母は感情が不安定(ヒステリック)、過干渉、家事は超適当(冷凍食品だらけなど)の主婦でした。
母自身が実の父から性的虐待を受けていました(最近親戚から知ったことです)。
(こころ さん)
こころさん、ご相談いただきまして、ありがとうございます。
文筆家・心理カウンセラーの大嵜直人が回答させていただきますね。
まずは、こころさん、お話ししにくいと感じることを、こうしてご相談文にしてお送りいただき、ありがとうございます。
ご家族のこと、そして性的なことは、お話ししにくいものです。
もしかしたら、ご相談文を書くことにも、抵抗があったかもしれません。
あらためまして、ご相談文をお送りいただき、ありがとうございます。
はじめに、こころさんのご相談文のタイトルに、少し触れたいと思います。
【母からの性的虐待?】
最後に「?」マークを付けられていますが、こころさんご自身の心の中(なんだかややこしいですね笑)には、
「性的虐待なのだろうか?それとも、違うのだろうか?」
という迷いがあるのでしょうか。
あるいは、もしかしたら、
「これって、別に普通のことかもしれない」
「過剰に反応しているだけかもしれない」
「私が我慢すれば、いいだけのことかもしれない」
そんなふうに、こころさんは感じられているのかもしれません。
そうだとしたら、どうか、こころさんが「恥ずかしい」、「気持ち悪い」、あるいは「嫌だ」と感じたことを、どうか大切にしてあげてください。
その感じたことを、こころさんが否定しないであげてください。
嫌なものは、嫌でいいんです。
相手が恥ずかしいと感じるなら、それは決してやってはいけないことです。
それは、人間としての尊厳を奪うことです。
誰であっても、こころさんの尊厳を、傷つけることをしていいわけはありません。
それは、親であろうと、誰であろうとも。
そのことは、まず強くお伝えしたいと思います。
すべての人がそうであるように、こころさんは、一人の人としての誇りと尊厳を持っておられます。
その尊厳を冒すことは、誰にもできません。
そのことは、何度でもお伝えしますね。
虐待を定義しようと思えば、たとえば厚生労働省の出している定義があるようです。
けれども、そうした定義に当てはまる/当てはまらないという判断よりも、こころさんが「嫌だ」と感じたのであれば、「そう感じたこころさんご自身」を大切にしていただきたいのです。
たとえば、さまざまなハラスメントなどでも、同じことが言えます。
「〇〇をしたから、パワハラ」
「〇〇は、セクハラじゃない」
という議論よりも、「それをして、相手がどう感じていたか」という点の方が、よっぽど重要だと私は思います。
ご相談文に書いておられるようなことをされて、こころさんが感じられたこと。
それが、すべてだと思います。
まずは、そう感じたこころさんご自身を、いたわってあげてください。
そうはいっても、「具体的には、どうしたらいいんだろう?」と、感じるかもしれません。
もし、こころさんがそう感じられたとしても、無理のないことかもしれません。
というのは、こころさんの中には、「いまの自分」と「小さい頃の自分」が、複雑に絡みあっているように、ご相談文から私は感じるからです。
「いまのこころさん」と「小さい頃のこころさん」。
その二つの感情が、もつれた糸のように絡まっている。
その絡まりが、こころさんを混乱させているのかもしれません。
もしそうであれば、順番に寄り添っていくことを、お伝えしたいと思います。
最初に「いまのこころさん」に寄り添い、それから「小さい頃のこころさん」の順番です。
まずは、「いまのこころさん」が感じることを、肯定してあげてください。
「いまのこころさん」が、気持ち悪い、嫌だ、と感じること。
ごくたまに夢を見たり、あるいは、覚えていないけれども、何かされたりしたのではないかと感じること。
それに、気持ち悪さや、嫌悪感を覚えてしまうこと。
これは、いま実際には起こっていないことへの想像からくる、不安や恐怖ともいえます。
もし、そうしたことを感じたら、深呼吸をしたり、自分の手を握ったり、目の前のものを指差ししたりして、「いま」に意識を戻してみてください。
少しずつ、少しずつで、大丈夫ですから。
不安や怖れは辛いものですが、それは実際には何も起こっていません。
「いま」に意識を向け続けていると、ふっと不安や怖れが抜ける瞬間が訪れます。
そうしていくと、不思議と心は落ち着きを取り戻していくと思います。
そうして、「いまのこころさん」が落ち着いたら、今度は「小さい頃のこころさん」に目を向けてあげてください。
無理しなくて、ゆっくりで大丈夫ですよ。
過去に実際に起こった出来事に対して、「小さい頃のこころさん」が感じた気持ちがあるかと思います。
>小さかったので意味はよくわかりませんでした。
こう書かれているように、もしかしたら「小さい頃のこころさん」は、その出来事を受け止められず、気持ち悪い、恥ずかしいと感じることが、できなかったのかもしれません。
その「小さい頃のこころさん」は、わけもわからず、とても不安で、心細かったのではないでしょうか。
もしそうならば、「いまのこころさん」が、声をかけてあげてくださいませんか。
「嫌だったよね」
「心細かったよね」
「怖かったかもしれないね」
「大丈夫だよ」
その「小さい頃のこころさん」が、落ち着くまで一緒にいてあげてください。
繰り返しになりますが、それは「いまのこころさん」が、落ち着いてからで大丈夫です。
もしかしたら、「いまのこころさん」がまた不安を感じることも、あるかもしれません。
そうしたら、また意識を「いま」に戻してあげてください。
少しずつ、少しずつで大丈夫です。
絡まり、もつれた糸も、端から丁寧に手繰っていけば、必ずほどけます。
こころさんの心も、きっと落ち着きを取り戻していくと思います。
さて、こころさんのご相談文から、私が強く感じる想いがあります。
それは、「分からない」という想いです。
永久凍土のような、固く凍った大地に、何かが埋まっている。
埋まっているのは分かるのだけれども、それが何か、分からない。
掘り出そうとしても、あまりに分厚い氷に覆われていて、掘り出せない。
凍えるような痛みの中、こころさんは立ち尽くしておられる。
ご相談文を拝読して、そんな感じを私は受けます。
それはもしかしたら、お母さんに対して、感じておられる想いなのかもしれません。
>10歳くらいだったような気がします。
>小さかったので意味はよくわかりませんでした。
幼いころ、わけもわからず、そうされたご記憶があるのですね。
なぜ、お母さんは、そんなことをさせたのか。
なぜ、お父さんの前で、させたのか。
それが、「分からない」。
>昔ぎょう虫検査というのがあたと思うのですが、
>私がトイレで一人ですればよいものの、
>母の前で四つん這いにされされました。すごく恥ずかしかったです。
なぜ、トイレで自分がすればいいものを、わざわざ四つん這いにさせたのか。
恥ずかしいのに、なぜお母さんは、そうさせたのか。
それが、「分からない」。
>母は感情が不安定(ヒステリック)、過干渉、家事は超適当(冷凍食品だらけなど)の主婦でした。
ヒステリックで過干渉だった、お母さん。
冷凍食品だらけで、家事は適当だった。
なぜ、そんなふうに、お母さんは育児をしてきたのだろう。
それが、「分からない」。
>母自身が実の父から性的虐待を受けていました(最近親戚から知ったことです)。
親戚からお聞きになったこと。耳を疑うような、お母さんのこと。
なぜ、そんなことが起こるのだろう。
なぜ、お母さんがそんな目に遭わないといけないのだろう。
それが、「分からない」。
こころさんのご相談文からは、「分からない」という痛みが滲み出てくるように、私には感じられます。
お母さんのことが、分からない。
表面的には、日常会話をしたりできるのかもしれませんが、お母さんの心の内が、分からない。
それが、こころさんのご相談文から感じる、最も強い痛みであり、悲しみです。
ここにご相談文をお送りされるくらいですから、こころさんは心の世界(ややこしいですね笑)のことを、学ばれてきたのかもしれません。
もしそうだとしたら、よくご存知かもしれませんが、私たちは母親との関係が一番深く、そこから他人との関係性を学びます。
そんなお母さんのことが、「分からない」というのは、こころさんにとっては、最も心を痛めるものだったのではないかと、私は感じます。
それはある意味で、自分の存在意義を見失ってしまうことでもあるからです。
親という、自分のアイデンティティを構成する大事な一部が、分からない。
そうすると、自分のことも、よく分からなくなってしまうことがあります。
そうだとするなら、こころさん、よく、こうして自分の「嫌だった」、「恥ずかしかった」、「気持ち悪い」という、目をそむけたくなる感情に向き合い、ご相談文を送ってこられましたよね。
それだけで、素晴らしいことだと私は思います。
忌まわしい記憶、分からないという辛い記憶を、よくこうして言葉にされたと思います。
どうか、勇気を出して、ご相談文をお送りされたご自身を、ねぎらって、褒めてあげて、誇ってくださいね。
「分からない」という感情は、辛く悲しいものです。
しかし、その感情は、相手を理解しようとされるからこそ、生まれる感情だと思います。
こころさんが、「分からない」と感じられているのだとするなら。
私はそこに、ご自身の痛みを越えてでも、相手を理解しようとする、こころさんの人としての美しさを見ます。
凍えるような寒さの中、分厚い凍土の下に沈んでいる、その人の本音を理解しようと、こころさんはされてきたのかもしれません。
だからこそ、まずはこころさんご自身を、その凍えた手を、あたためてあげてほしいな、と思うのです。
こころさんご自身の感じていることを、どうか否定しないであげてください。
ということで、私がお伝えしたいことは、最初に戻ります。
もうずいぶんと昔のような気がしますが、覚えておられますでしょうか笑
何度でも、お伝えします。
どうか、こころさんが感じられたことを、大事にしてあげてください。
そう感じたこころさんご自身を、いたわってあげてください。
嫌だった、
恥ずかしかった、
意味が分からなかった、
なぜそんなことをしたのだろう、
分からない…
どんな想いでも、感情でも。
どうか、それを否定しないであげてください。
しんどかったり、辛かったりしたら、どうか一人で抱え込まないでください。
家族のこと、まして性的なことは、お話づらいことは当然だとは思うですが、それでも、お伝えしたいと思います。
どうか、一人で抱え込まないでください。
嫌だ、と感じたこころさんご自身を、いたわってあげてください。
そして、繰り返しになりますが、
誰であっても、こころさんの尊厳を、傷つけることをしていいわけはありません。
親であろうと、誰であろうとも。
それを、何度でもお伝えしたいと思います。
この度は、ご相談いただきまして、ありがとうございました。
大嵜 直人
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本日ご紹介するのは私の同期であります、「青葉(あおば)」カウンセラー。
HSP・アダルトチルドレン・DV・モラハラ・虐待・社会不適応・先生の相談など、生きづらさの理由を知り、自分らしく生きるライフワークを探すことをサポートしてくれる青葉カウンセラー。現在はご自身のライフワークのために、カウンセリングはお休み中とのことですが、春には再開されるそうですので、ぜひチェックしてみてください。
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