大嵜直人のブログ

文筆家・心理カウンセラー。死別や失恋、挫折といった喪失感から、つながりと安心感を取り戻すお手伝いをしております。

自立的な人は、相手の依存を認めることで、豊かなパートナーシップを育むことができる。

人の心が成長するプロセスを、「依存→自立→相互依存」というモデルで見ることができます。

誰もが通るこのプロセスを、詳しく見ていきます。

またそれとともに、「自立」の側が「依存」を認めてあげることで、パートナーシップを深めることができることをお伝えします。

名著「傷つくならば、それは「愛」ではない」(チャック・スペザーノ博士:著、大空夢湧子:訳、VOICE:出版)の一節から。

1.パートナーの依存も認めてあげると、二人の関係は進化する

カップルのなかで、もしあなたのほうがより自立的であれば、依存的なパートナーの価値を認めてあげることを学びましょう。

依存的なパートナーは、二人のあいだのすべての痛みや欠乏感に直面し、その関係のなかで重要なはたらきをしてくれているのです。

そのことに感謝しましょう。

たいてい自立的な人は、自分にも二人の関係を変容させられるということに気づいていません。

 

こうした場合、じつはあなたのなかにも欠乏感が隠れているのです。二人が深くつながりあうためには、まず最初にあなた自身のなかにある、欠乏感に対する抵抗を認める必要があります。

そして、あなたがそれを超えたレベルからつながり、そのあとで相手をそのレベルまで引きあげれば、二人のパートナーシップは次の段階に進みます。

すると、このことで相手の新たな魅力があらわれてきます。

 

この新しい地点に到達し、それを祝福しあうと、二人の関係はさらに次の段階へと前進します。

それでもまた、あなたは自立のパターンにはまり、パートナーは依存のパターンにはまるかもしれません。

そのときにはふたたび相手に手をさしのべ、あなたのいるところへと引きあげましょう。

 

このようにして相手の欠乏感と、あなたのなかに隠れていた欠乏感が癒されていき、二人の関係は新しい段階に進むのです。

 

「傷つくならば、それは「愛」ではない」 p.72

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2.心の成長プロセス

今日のテーマは、パートナーシップにおける役割についてです。

ここでいう「依存」と「自立」は、一般に使われる意味と若干異なっている部分もあります。

本書では、人の心の成長プロセスを「依存→自立→相互依存」というモデルで描いています。

誰もが通るこのプロセスを、順番に見ていきます。

すべては「依存」からはじまる

自分にできることは、何もない

人は何でも、「依存」の状態からスタートします。

生まれ落ちた瞬間、保育園に入ったとき、小学校に上がったとき、新入社員のとき・・・何か新しいステージに入るとき、必ず「依存」の状態から始まります。

それは、自分では何もできないし、誰かに何かをしてもらわないといけない、と感じている状態です。

自分で動くこともできず、
自分でミルクも飲めず、
やりたいこともできず、
仕事も何も分からない・・・

そんな経験を、誰もがしてきたのではないでしょうか。

自分でできることがなく、相手に振り回されるので、主導権がないとも言えます。

相手が自分の思い通りの言動をしてくれないと、不満感を持ってしまい、相手を責めたりしてしまったりもします。

そのような被害者マインドとも近く、自分には価値がないという無価値感を覚えることも多い状態です。

この「依存」の状態は、何かをしてほしいという欲求が強く、感情に振り回さる、しんどいものです。

「依存」時代の恩恵

しかし、この「依存」にも、恩恵があります。

新生児や小学一年生、あるいは新入社員などを思い浮かべてみると、分かりやすいかもしれません。

無邪気さ、かわいらしさ、従順さ、ピュアさ、童心、素直さといったものが、その恩恵です。

はい、だいぶ汚れてしまった私なんぞとは、ほど遠いものかもしれません笑

そうした恩恵は、「依存」の時代を過ぎてしまうと、どうしても忘れてしまったりするものです。

けれど、それは誰もが持っていたはずの才能でもあります。

傷ついた分、「依存」を抜け出す

そんな恩恵はあるものの、やはり自分の感情が他人に振り回される「依存」時代は、辛いものです。

その辛い分だけ、私たちはこの「依存」から抜け出そうとします。

すなわち、他人に頼らず、自分でなんでもやろうとします。

自分で歩こうとしたり、
自分で服を着ようとしたり、
自分で明日の学校の準備をしたり、
自分で仕事を進めようとしたり・・・

このときカギになるのは、「自立」に向かうのは、「依存」時代に負った心の傷ゆえに、ということろです。

こうしてほしかったのに、してくれなかった。
自分の思い通りにならなかった。
ほしいものを、与えてもらえなかった。
寂しかったのに、誰も一緒にいてくれなかった。

そうした心の傷が、深ければ深いほど、私たちは「自立」への傾向を強めていきます

このようにして、「依存」から「自立」へとステージが変わります。

思考優位、正しさにこだわる「自立」

傷ついた分、自分ルールを築く

「依存」時代に深く傷ついた分だけ、私たちは自分独自のルールをつくります。

「人に頼ってはいけない」
「自分のことは、何でも自分でやらないといけない」
「さびしくても、泣いてはいけない」

多くのルールは、自分一人で何とかしようとして、他人に頼るのをやめようとします。

そうして、そのルールを守ることで、安心感を得ます

こうしたルールを、観念、ビリーフ、思いこみ、心の癖、フィルターといった呼び方をする場合もあります。

こうしたルールは、もう二度と傷つかないためにつくる自己防衛のためでもありますが、時にそれは、生きることを窮屈にしたりもします。

勝ち負け、正しさにこだわる

「自立」している人の特徴として、正しさに非常にこだわることが挙げられます。

自分が正しいということを、強固に握りしめています。

そして、その正しさで、いつも誰かと争おうとします。

負けたら、「依存」の状態に叩き落されることを、怖れているからです。

そのため、いつも誰かと競争して、攻撃的になります。

感情の抑圧、行き着く先はデッドゾーン

もう一つの「自立」の特徴として、感情を抑圧する傾向があります。

「依存」の時代に、自分の感情に振り回されて辛かった分、もうそれを感じたくない、と抑圧していきます。

ただ、人の感情というのは、すべてひとつながりのようです。

悲しみや寂しさ、悔しさといった、ネガティブな感情を感じたくないので、それを抑圧してくと、同時に喜びやつながり、愛しさといったポジティブな感情もまた、抑圧されていきます。

最後に残るのは、怒りと性欲だけ、とも言われます。

自立大好きな私は、思い当たる節がありすぎますね笑

そして、それを繰り返してくと、徐々に無気力になっていきます。

いわゆる、燃え尽き症候群、デッドゾーンと呼ばれる状態で、そこには死の誘惑すら覚えることもあります。

この「自立」の状態を抜けるためには、頼る、任せる、委ねる、休む、受け取るといった、いままでとは反対のことが求められます。

Win-Winの「相互依存」

この「自立」を抜けた先に、「相互依存」というステージがあります。

要は、自分ができることは自分でする、自分ができないことは誰かに頼る、といった状態です。

Win-Winの関係であり、対等な関係、共生・共存などがキーワードになります。

ただ、言うは易く行うは難し・・・の最たるものでもあります。

いきなり、「相互依存にならないといけない!」と考えるよりは、「自立の先には、すごく楽な世界があるらしい」と知っておくだけで、いいのかもしれません。

はい、私も日々、試行錯誤中です。

3.すべてのものごとの関係に、自立と依存がある

さて、ここまで長々と、心の成長プロセスについて書いてきました。

「依存」から「自立」、そして「相互依存」というテーマを、一つの記事でまとめるのは、やはり無理があるようです笑

ということで、ようやく今日のテーマです。

「依存」はパートナーシップを育む上で重要な役割を持つ

「自立」の状態にあると、「依存」を忌み嫌うようになります。

昔の傷ついた自分を思い出してしまう、というのもあるでしょう。

「自分が一人で頑張ったんだから」という想いも、出てくるのでしょう。

いずれにしても、「自立」した分だけ、「依存」を遠ざけたくなります。

「依存」してくる人が、苦手になります。

しかし、その「依存」の側は、パートナーシップを育むうえで、大きな役割を演じている、というのが今日の主題です。

なぜなら「依存」の側が感じている痛みや欠乏感は、実は「自立」している側が抑圧してしまったものだからです。

それを、「依存」の側は感じてあげている、と見ることができます。

そこで、「自立」の側が「依存」を切り捨ててしまうと、それは自分の一部を切り捨ててしまったことと、同じことになります。

「依存」を切り離しても、自らの内にある痛みや欠乏感は、なくなりません

それは深く抑圧され、ひどい腐臭を放つまでになります。

それがイヤで、さらに奥深くに抑圧しようとする。

行き着く先は、先ほど見た通り、デッドゾーン、無気力、無感動な、灰色の世界です。

それにストップをかけてくれるのが、「依存」の側だというのが、今日の主題です。

カギになるのは、「自立」の側が、「依存」の側に見る痛みや欠乏感が、自分の中にあるものだ認めることができるかどうか、のようです。

すべてのものごとに、「自立」と「依存」がある

引用文はパートナーシップについて書かれていますが、この「自立」と「依存」はそれに限ったものではありません。

上司と部下、親と子ども、先生と生徒、友だち関係、さまざまな関係において、それは現れます。

もっと言えば、人との関係だけではなく、仕事やお金、お酒といったものとの関係においても、「自立」と「依存」があります。

仕事の上では超自立だけれども、パートナーに対しては超依存だとか、

パートナーとは対等な関係だけれども、お金に対しては依存的だとか、

そういった話は、よくあるものです。

どちらかだけに寄っていることもあるでしょうが、まだら模様のようになっているのが、人間なのでしょう。

ある事象があったとして。

いまの自分は、「依存」なのか、「自立」なのか

その現在地を確認するだけでも、違ってくるのかもしれません。

「依存」なら「がんばれ、がんばれ」、

「自立」なら「がんばるな、責めるな」、

というように、進む方向が真逆なのですから。

ご参考になりましたら、幸いです。

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