怒りをはじめとした感情は、抑え込まずに感じた方が楽とは、よく言われます。
ただ、抑え込んでしまうことが悪いことではなく、ただそうせざるをえなかっただけ、という見方も必要ではないかと思います。
感情を感じやすくするためのアプローチとあわせて、お伝えします。
オンラインカウンセリング無料相談・ココロノマルシェに寄せられたご相談に、回答させていただきます。
【怒りを感じやすくするにはどうしたらよいか】
怒りという感情を昔から抑え込む、或いは自分の中でなんとか納得させることを常にしていたせいか、怒りを感じる場面があってもほとんど感じる間もなく自分の中で押さえ込んでしまいます。
いつもあまり感じる間もなく自分の底にしまってしまうので感じようとしたときにはもう遅いという状態が毎回続きます。
ちゃんと感じてあげられるようにするにはどうしたら良いでしょうか。
(かるしうむ さん)
かるしうむさん、ご相談ありがとうございます。
文筆家・心理カウンセラーの大嵜直人が、回答させていただきますね。
さて、かるしうむさんは、怒りを感じる場面があっても、ご自身の中に抑え込んでしまうのですね。
感じようとしたときには、あれ、もうどこかへ行ってしまった…というような感覚でしょうか。
そうすると、なんだか消化不良のような、そんなモヤモヤした感じがされるのかもしれません。
もしくは、「怒り」を感じられなかったことで、自分が不快な気分になったりするのかもしれません。
あるいは、抑えていた「怒り」が、急に爆発してしまうようなご経験があったのかもしれません。
ご相談文には、そのあたりは書いておられないのですが、何がしかの引っかかりを感じておられるから、こうしてご相談文を送っていただいていると思います。
>ちゃんと感じてあげられるようにするにはどうしたら良いでしょうか。
このかるしうむさんのご質問にお答えできるように、書いていきたいと思いますね。
怒りに限らずですが、感情というのは、不思議なものです。
よくそれは天気に例えられますが、天気と同じように気まぐれで、不意に現れては、立ち消えていくものです。
ずーっと晴天が続くこともあれば、急に夕立になったり、あるいは霧が出たりすることもあります。
それは、コントロールしようと思っても、できないものだと思います。
人の意志とは全く関係なく、浮かんでくるもの。
それを止めようと思っても、止められないもの。
気づくと、溢れ出てくるもの。
誰の心にも、あるもの。
怒りを含めた感情について、こんな風に私は考えています。
かるしうむさんにとっては、いかがでしょうか。
そして、出てきた感情を抑え込んでしまったり、感じないようにして切ってしまうことは、誰にでもあることだと私は思います。
いろんな原因があると思います。
まず考えられるのは、「疲れ」でしょうか。
感情を感じるのって、結構疲れると私は思うんですよね。
泣いたり、笑ったり、怒ったり、悲しんだり…そうしたことって、とってもエネルギーを使います。
それが、あまりにも傷ついていたり、疲れきっていたりすると、そうしたものを感じる体力がないので、感情を切らざるをえなかったりします。
また別の原因として、周りからの影響も考えられると思います。
親に「男の子は泣いちゃダメ」と言われてきたり、「そんなに怒りっぽいと、友だち無くすよ」と友人に言われたりすると、「この感情は感じてはだめなんだ」と思い、それを感じないようにしてしまうこともあるかと思います。
またもう一つ考えられる原因として、受け止められないくらいショックなことがあると、無意識的に感情を切ってしまうこともあります。
大好きだった方のお葬式で、まったく泣けなかったし、何も感じなかったという経験をされる方がいます。
それは、ものすごくショックなことが突然起こったりすると、ブレーカーを落とすように、感情を切るという、ある種の防衛本能的なものです。
他にもいろいろあるとは思いますが、いずれの原因を見ても、「そうするほかなかった」としか、言いようがないのだと思います。
感情を抑え込むのは、辛いことではありますが、さりとてそれが「悪い」ことではありません。
ただ、そうせざるをえなかった。
それだけなんだと思います。
かるしうむさんが、怒りをうまく感じられないとしたら、何か「怒ってはいけない」と感じる経験があったのでしょうか。
もしお話を伺えるのであれば、掘り下げてみたいところです。
ただ、どんな原因があったとしても。
かるしうむさんが悪いわけでも、怒りを抑え込むのが悪いわけでもありません。
ただ、そうせざるをえなかった。
繰り返しになりますが、それだけなんだと思います。
さて、そうして抑え込んだ感情ですが、それは感じるまで自分の中で眠っています。
そして、あるとき感じられるようになります。
「感情には時間の概念が無い」とはよく言われますが、どれだけ時間が経っても、未消化な感情は感じることができます。
本当に感情というのは、不思議なものです。
それが溜まり過ぎると辛いのは確かですが、時間が経っても、感じられなかった感情は感じられるし、癒せることもまた、確かなようです。
かるしうむさんが、抑え込んでしまったと感じた「怒り」もまた、癒せるときが来ます。
だから、まずは怒りを抑え込んでしまっても、それはそれで大丈夫だと思うのです。
抑え込んでしまったとしても、必ず癒せます。
感情は抑え込まず、感じた方がいいとは言われますが、だからといって、感情を抑えることが「悪いこと」でもないと思うのです。
それを「悪いこと」にしてしまうと、そうせざるをえなかった自分を、さらに追い込んでしまうかもしれません。
かるしうむさんには、怒りを抑え込まざるをえなかった事情が、きっとあったのでしょう。
それは、悪いことでも何でもありません。
ただ、そうだったというだけだと思いますし、そうせざるをえなかったのだとも思います。
まずは、それをかるしうむさんにお伝えしたいと思います。
前振りのような形で書いたつもりでしたが、ここに来るまでが長いですね、ほんと笑
それをお伝えした上で、かるしうむさんのご質問にお答えしていきたいと思います。
>ちゃんと感じてあげられるようにするにはどうしたら良いでしょうか。
怒りに限らずですが、「感じる」ことをできるようにするためにできること。
一つのアプローチとして、身体を緩める、ということは大事かもしれません。
人はどうしても思考的になると、感性が鈍ります。
頭を使うと、どうしても肩に力が入り、身体がこわばります。
マッサージやリラクゼーションに定期的に通ったり、ストレッチをしたりして、身体を緩める、というアプローチは有効かと思います。
そしてもう一つ、「感じる」という点で言うならば、意識的に五感で感じるものにフォーカスするもの、いいと思います。
今日の空の色を眺める。
好きな音楽を聴く。
口にするものをゆっくりと味わう。
いまの季節に咲いている花の香りを楽しむ。
肌に触れる風の感触を意識してみる。
こうしたことは、すぐに何かが変わるわけではありませんが、少しずつ、少しずつ、「感じる」ということを身体が思い出していくと思います。
そして、最後にもう一つ。
これは方法論というよりもマインドなのですが、「ちゃんと」しない方がいいと思います。
「ちゃんと」という意識は、どこかに善し悪しの判断が入る思考的なものです。
思考に寄ってしまうと、「感じる」ことから遠ざかってしまうかもしれません。
感情って、怒りって、そんなに「ちゃんと」してないと思います。
わけもわからないときに、よく分からない感情が湧いてきたり、急にふっと消えたり。
それを思考的に理解しようとしなくても、いいと思います。
これまで書いてきたように、かるしうむさんは、かるしうむさんご自身のタイミングで、感じられると思いますから。
きっと、感じられると思います。
こうして、ここにご相談文を送ってこられるくらい、ご自身に向き合ってこられたのですから。
かるしうむさんご自身の感覚を、信じてあげてください。
きっと、大丈夫です。
かるしうむさんのこれからを、心より応援しております。
このたびは、ご相談いただきまして、ありがとうございました。
大嵜 直人