大嵜直人のブログ

文筆家・心理カウンセラー。死別や失恋、挫折といった喪失感から、つながりと安心感を取り戻すお手伝いをしております。

「問題」は、抑圧してきた感情を解放するために起きるもの。

本来の自分から離れると、感情を抑圧しやすくなります。

私たちが生きる中で起こる「問題」は、そうして抑圧された感情を解放するために起こるものと見ることができます。

1.「問題」が起こるプロセス

昨日の記事では、「問題」が起こるプロセス、というテーマでお伝えしました。

「問題」が起こるプロセスと、それが教えてくれるもの。 - 大嵜直人のブログ

私たちが生きるなかで抱える、さまざまな「問題」。

家族やパートナーシップといった人間関係の問題、仕事やお金の問題、あるいは身体や健康の問題など、さまざまな「問題」があります。

何を「問題」とするかは、その人の価値化やパーソナリティと、深く結びついているものです。

そして、「問題」に出会うと、私たちはどうしてもその対処法や解決策に目がいってしまうものです。

もちろん、そうしたものも大切ではありますが、昨日の記事では、「そもそも、なぜそうした『問題』が起こるのか?」という見方をご紹介しました。

それは、端的に言えば、「本来の自分からズレてしまったことで起こる」という視点です。

「問題」が起こるということは、「あんた、いまちょっとズレてるよ」と、教えられているようなものといえます。

そして、なぜ本来の自分からズレてしまっているかといえば、その多くは傷ついた経験がそうさせるものです。

自分のせいで、誰かを悲しませてしまった。

大切に想っていた人から、ひどい扱いを受けた。

大事な人を、笑顔にできなかった。

そうしたときに、「この自分ではダメなんだ」と思い込んでしまうことがあります。

言ってみれば、それは勘違いといえるのですが、そこで傷ついた分だけ、私たちは本来の自分を隠し、そこから離れた自分になろうとします。

それでうまくいくこともあるのですが、やはり本来の自分を出せないというのは、苦しいものです。

そうしたプロセスで、「問題」は起こります。

「ちょっと、ズレてますよ。このままでいいんですか?」

そんなことを教えてくれているならば、「問題」への見方も少し変わってくるのではないでしょうか。

2.本来の自分から離れると起きること

本来の自分で生きられないことは、間違いでも何でもない

今日はもう少し、この「問題」にまつわるプロセスについて、考えてみたいと思います。

何らかの傷ついた経験によって、私たちは本来の自分から離れて、何らかの自分を装うようになります。

注意しておきたいのは、「本来の自分で生きていないのは、間違っている」という視点で、自分を責めたりしないことです。

こうしたプロセスは、誰にでも起こることであり、それが間違っているというわけではありません。

「ただ、そうせざるを得なかった」、というのが実情であり、正しい理解の仕方なのでしょう。

そして、このかりそめの自分が、すべて偽りの、嘘の自分というわけでもないのです。

その自分もまた、自分自身の大切な一部なのですから。

だから、こうした「よそ行きの自分」で得られる恩恵も、大きいわけです。

たとえば、本来はマイペースで自分の世界を大切にする人が、何らかの事情で、周りを気にして、周囲に合わせる自分をつくっていたとします。

そのプロセスによって、周りの調整役になれたり、気配りができる、という恩恵があったりします。

その恩恵の部分を見ないで、「本来の自分で生きられないのは、いけないことだ!」と自分を責めてしまわないように、注意したいものです。

本来の自分から離れると、感情の抑圧が起こりやすい

ただ、本来の自分から離れるほどに、徐々にしんどくなってきます。

ずっとマスクなのか、仮面なのかをつけて、生きているような感覚。

常に誰かを気にしていて、くつろげない状態。

本来の自分から離れるほどに、そういった感覚を持ちやすくなります。

要は、「生きるのがしんどい」「常に生きづらさを感じる」ようになるわけですよね。

これを別の見方をすると、何らかの感情を抑圧している状態といえます。

何らかの感情があるのに、それをなかったことにしてしまう。

ほんとは、こう感じているのに、周りに合わせるために、感じていないふりをしよう…

ほんとはしんどいんだけれども、自分だけというわけにはいかないから…

そうしたことを繰り返していくと、徐々に感情の不感症とでもいえる状態になっていってしまいます。

感情とは、不思議なもので、何か一つの感情を抑圧しようとすると、それ以外の感情もまた感じないようになってしまいます。

悲しさを感じないようにすると、喜びも感じられないように。

さびしさを抑圧すると、つながりも感じられなくなるように。

その行き着く先は、無感情、無感動、あるいは無気力といった症状になってしまったりします。

3.「問題」によって解放される感情

感情とは、私たちがコントロールできるものでもなく、ただ現れては、流れていくものです。

それを無理矢理に抑えつけてしまっていたら…何らかの無理が生じます。

流れる川をせき止めていたら、大氾濫してしまうように。

ずっと溜まったマグマが、噴火するように。

「問題」の一つの見方として、そのように抑圧してきた感情を解放するために起こるきっかけ、と見ることができます。

すなわち、本来の自分からズレてしまった分、何がしかの抑圧してきた感情があるわけです。

その感情が、「問題」が起こることによって、解放される。

「こんなことでも起こらなければ、この感情を解放することはできなかったのかもしれない」

そんな作用が、「問題」にはあります。

 

私が初めてカウンセリングを受けたとき。

表面上の「問題」はありますが、その奥底には、強烈に抑圧していた感情がありました。

それは、「さびしさ」でした。

両親と死別してから、ずっと抑圧していた感情。

目に映る「問題」を通じて、私はようやくその「さびしさ」を感じることができました。

カウンセリングを受けて、自分と向き合いだすまで、「さびしい」とか、「もう一度会いたい」とか、そうしたことを考えたこともなかったんですよね。

それを初めて口に出したとき、一晩じゅう、泣いていたことを覚えています。

もちろん、「さびしさ」を抑圧したのは、そうせざるを得なかったのでしょう。

ただ、「問題」は、「そろそろ、向き合っても大丈夫だよ」ということを、教えてくれていたのかもしれません。

抑圧していた感情を感じることができると、いろんなことが流れていきます。

お腹が痛いのをずっと我慢していて、ようやく見つけた駅のトイレで、一つだけ空いていたような感じでしょうか笑

「さびしさ」を感じることができると、つながりもまた、戻ってきます。

そうしたプロセスを経ていくと、「問題」の見え方も変わり、ひいては自分を取りまく現実も変わっていくものです。

「問題」を通じて、私たちは感じないようにしてきた感情を、感じることができるのかもしれません。

 

あなたが、何らかの「問題」を抱えているのでしたら。

その「問題」が解放してくれる感情は、どんな感情なのでしょう。

感情ですから、ポジティブなものもあれば、ネガティブなものもあります。

そして、ネガティブな感情と向き合うのは、なかなか怖いものです。

ただ、どんな感情も、感じれば流れていきます。

もし、一人では怖いようでしたら、カウンセリングを使ったりしながらでも、大丈夫です。

感情が流れたあと、きっと「問題」の見え方は変わっていることでしょう。

今日は、「問題」は抑圧していた感情を解放する、というテーマでお伝えしました。

ここまでお読みくださり、ありがとうございました。

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