私たちは生きる中で、さまざまな「問題」に出会います。
その対処法や解決策が気になるものですが、少し大きな視点で、「問題」が起こるプロセスと、その意味について考えてみます。
1.「慢性的な問題」と向き合うには
先日の記事では、「慢性的な問題」と向き合うには、というテーマでお伝えしました。
慢性的な問題と向き合うには、まずは「私が大切なもの」を受け入れるところから。 - 大嵜直人のブログ
「慢性的な問題」とは、まるで持病のように、私たちの人生のなかで度々立ち現れる問題を指します。
パートナーが変わっても、同じような「問題」で悩んだり。
職場環境が変わっても、また同じような「問題」を抱えたり。
それは、手を変え品を変え、私たちを悩ませるものです。
そうした「慢性的な問題」と向き合うには、肚をくくるというか、腰を据えて向き合わないといけなかったりします。
一回マッサージに行っただけで、慢性的な腰痛が完全に治ったりはしませんよね。
(いや、ゴッドハンドのような凄腕のセラピストなら、治せるのかもしれませんが笑)
ちょっとよくなったと思っても、時間が経つと、またぶり返したりするものです。
なので、こうした「慢性的な問題」に思い当たるのであれば、ある程度、時間がかかるものと思って、まずは焦らず、自分にダメ出しをせず、気長に付き合っていくくらいの感覚がいいのでしょう。
そもそも、「問題」とは、自分が望む理想と、いまの現状とのギャップを指します。
そのため、何を「問題」とするかは、その人の価値観や世界観によって、異なります。
たとえば、私の友人は気づけば何か話してるくらい、話すことが好きで、営業職をしているのですが、その友人が一日中パソコンと向き合って、誰とも話さない環境に置かれたら、大問題になると思います。
その反対も然りで、誰かと話すのが苦手な人にとっては、営業職に就くのは耐えられない、と感じるかもしれません。
そこで起きる「問題」に目を向けるのもいいのですが、その反対には、その人のかけがえのない才能や価値があります。
先の例でいえば、人と積極的に関わることができる才能、あるいは、自分独自の世界を築いていく才能など。
昨日の記事では、「慢性的な問題」こそ、自分のコアな価値を見せてくれるのだから、まずは自分が何が大切なのかを受け入れましょう、というのがテーマでした。
大切なものがあるから、「問題」になるわけですから。
2.「問題」が起こるプロセス
「慢性的な問題」を考えるにあたって、今日は「問題」が起こるプロセスについて、少し触れてみたいと思います。
一つの見方として、「問題」とは、本来の自分に戻るために起きるもの、という見方があります。
誰だって、やっかいな「問題」はご遠慮願いたいものですが、「もし、そこに意味があるのなら」と考えるなら、そういう見方もできるのではないでしょうか。
そうだとすると、「問題」が起きているということは、「あんた、ちょっとずれてるよ」と教えてくれているのかもしれません。
先の私の友人のように、本来は誰かと関わっていたい人が、何らかの事情で、そのつながりを切っていたとしたら。
あるいは、マイペースで自分の世界を持っている人が、ずっと無理に相手にあわせた生き方をしていたとしたら。
本来の自分からずれて、しんどいと感じるのでしょう。
「問題」は、そうしてズレた自分が、本来の自分に戻ろうとするプロセスと見ることができます。
家族の問題。
パートナーシップの問題。
身体や健康の問題。
子育ての問題。
お金の問題。
さまざまな「問題」は、私たちに本来の自分を教えてくれる機会と見ることができます。
もっといえば、それは自分が自分で引き起こしているとすら、言えるのでしょう。
「すべて問題は、自作自演」という金言も、あるくらいですから。
まあ、渦中にいるときは、なかなかそうは思えないですけれどね笑
でも、「問題」と本気で向き合ったことのある人なら、分かっていただけると思うのですが、その「問題」を経験する前と後では、自分が変わったように感じられるものです。
それは、変わったというよりも、「もとに戻った」という方が、近いのでしょう。
3.傷ついた経験と、勘違い
「問題」のプロセスのお話を、もう少し続けますね。
「問題」とは、本来の自分に戻るためのもの。
そして、本来の自分からズレた分だけ、「問題」もまた、大きくなるものです。
では、なぜ私たちは本来の自分から、ズレてしまうのでしょうか。
その原因は、いろいろな見方ができると思います。
また、その答えは一つではないのでしょう。
しかし、それを承知の上で一般化するならば、ひとえに「傷ついた経験」から、私たちは本来の自分からズレると言えます。
本来の自分でいられた時代に、なんらかの傷ついた経験をした。
そうしたとき、私たちはよく、こんな勘違いをします。
「こんな自分だったから、あんなひどい経験をするはめになったんだ」
要は、そのままの自分では、愛されない、という想いです。
もしかしたら、その経験と、自分のあり方には、何の関連もなかったのかもしれません。
たとえば、相手が勝手にイライラしていて、自分にひどい態度を取ってきた、といったことも、あるのでしょうから。
これって、言ってみれば「もらい事故」のようなもので、自分には何の落ち度もないですよね。
しかし、私たちは、他人に対してよりも、1万倍以上、自分に対して厳しいものです。
だから、「わたしが悪かったんだ」と思い込むわけです。
そして、本来の自分を捨てて、別の自分を演じるようになります。
これが、本来の自分からズレる原因の一つです。
思い当たる節は、ありますでしょうか…
こうした経験と、そこから異なる自分を演じることは、本来の自分からズレる原因となりえます。
そして、それが臨界点を超えると、「問題」が起こったりします。
「ちょっと、ズレすぎてきてるよ」と、教えてくれているわけです。
「問題」は、できれば避けて通りたいものではあります。
誰だって、「問題」だらけよりも、平穏な人生の方がいいですから笑
けれど、もしあなたの目に「問題」が映っているのだとしたら。
それはあなたが、あなた本来の姿から、少し離れてしまっていますよ、ということを教えてくれているのかもしれません。
「問題」の渦中においては、その対処や解決方法が気になるものです。
けれど、一歩引いたところで、「この問題を通じて取り戻す、本来の私って、どんな私なんだろう?」と考えてみることは、大きな意味があるものだと思います。
今日は、慢性的な問題と向き合うには、というテーマでお伝えしました。
ここまでお読みくださり、ありがとうございました。
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