「愛すること」の定義は、人それぞれに異なるものです。
時にその定義が自分を縛ることになり、大切な人とすれ違いを生むことがあります。
その原因と処方箋について、お伝えします。
1.何かについて定義するとは、「そうでないこと」を定めること
今日のテーマは、タイトルで全部語ってしまっているような気がしますが、気にせずに書いていきます笑
何かについて定義することは、「そうでないこと」を定める働きを持ちます。
たとえば、「犬」というものを定義すると、自動的に「犬ではないもの」を決めることになります。
ダックスフンドは、犬です。秋田犬も、犬です。
しかし、茶碗は犬ではありませんし、ネコも犬ではありません。また、電信柱も犬ではありません。
これは、「言語」というものの持っている力と、非常に密接な関係があります。
本来は切れ目のない世界を、私たちは「言葉」で区切っていきます。
「赤」という言葉で切り取られたものがあるとすると、その周りには「赤ではない」ものが残ります。
さしずめ、一枚の画用紙から、チョキチョキと「赤」の部分だけを切り取った、残りの部分のようなイメージでしょうか。
そのように、何かを定義するということは、「そうではない」ことを定めることと同じです。
2.「愛すること」とは、なんだろう?
私とあなたで異なる、「愛すること」の定義
さて、「愛すること」の定義について、考えてみます。
一見、それは同じように見えますが、その定義は一人一人によって違い、実にさまざまです。
厳しく躾をすることが、「愛すること」と定義する人もいます。
触れたりスキンシップをすることが、「愛すること」と定義する人もいます。
一生懸命に家の外で働くことが、「愛すること」と定義する人もいます。
辛いときやしんどいときに一緒にいることが、「愛すること」と定義する人もいます。
「愛すること」の定義は、ほんとうに十人十色で異なります。
そして、誰もが自分の「愛すること」の定義に合った愛し方をしますし、またその方法で愛されたいと感じるものです。
いつもかまってほしいと感じる人は、自分の体調が悪かったり、病気になったりしたときには、一緒にいて看病したりしてほしいと思うものです。
熱が出ていたら体温計を持ってきて、冷えピタを買ってきたり。
食欲があまりなかったら、食べやすいお粥を作ってくれたり。
そうした行為を、「愛されている」と感じる。
しかし、その反対に、しんどいときはそっと一人にしておいてほしいと感じる人は、その逆の行動をとってしまうものです。
しんどいときは、話をするもの辛いだろうから、一人にしてあげよう。
見放すのではなく、そっと距離を置いて、見守ってあげよう。
そんな行動を「愛すること」と定義する人も、いるのでしょう。
はい、ご想像の通り、人間関係におけるすれ違いの多くは、この「愛すること」の定義の違いによって生まれます。
「こんなにしんどいのに、放っておかれるなんて、愛されていないんだ」
そんな風に感じてしまうことが、あるかもしれません。
けれども、それは誤解なのかもしれません。
愛しているからこそ、大切だからこそ、そっとしておいているのかもしれない。
それは、ある意味で悲劇です。
当たり前と感じることほど、確認しないもの
厄介なのは、その「愛すること」の定義が、自分にとっては当たり前すぎることです。
「これって、赤い色だよね?」とか、「このブニャブニャ言ってる生きものって、ネコだよね?」とか、わざわざ確認しないですよね。
それと同じで、わざわざ「愛すること」の定義を、相手に確認したりしないものです。
だって、当たり前だから。
当たり前すぎるから。
けれども、その当たり前が、すれ違っていることが、とても多いものです。
こと「愛すること」というのは、人間にとってとても自然で、とてもコアな部分といえます。
そして、関係性が近しい人ほど、私たちは自分自身を「投影」しやすくなります。
自分が持っている「愛すること」の定義を、相手も同じように持っているはず、と自分自身を投影してしまうわけです。
こうした「愛すること」の定義のすれ違いは、関係性が近くなるほどに、起こりやすくなるといえます。
3.すれ違いを解消するための処方箋
「愛すること」のリスト
このすれ違いを解消するためには、まずは自分が「愛すること」をどう定義しているのか?を知ることが第一歩といえます。
どんなときに、愛情を感じるのか。
どんなことをされると、愛されていると感じるのか。
どんな言葉を、愛と感じるのか。
愛するとは、どんな行動なのか。
それを、一度書き出してみることを、おすすめします。
なかなか恥ずかしいと感じるかもしれません。
けれども、言語化できると、割とスッキリするものです。
そしてそのリストは、あなたが大切な人に与えたいと感じたときに、真っ先に選ぶ方法でもあります。
「愛し方」というのは、その人らしさが最も出るものでもあります。
あなたのリストには、どんな愛し方が並んでいるのでしょうか。
そのリストの外には、「愛」はないのだろうか?
そのリストは、あなたという人の素晴らしさを表すリストです。
しかし、次に注目したいのはそのリストに「書かれていないこと」です。
今日のテーマの冒頭で、「何かを定義することは、同時に『そうではないこと』を定めること」とお伝えしました。
「愛すること」を定義すると同時に、そのリストに載っていないものは、すべて「愛ではない」と定義している可能性があります。
さて、そのリストに載っていないものは、すべて「愛ではない」のでしょうか。
これは、ある意味でとても難しい問いかけです。
けれども、その問いを考えることは、私たちの心の器を広げ、受けとれる愛の総量を増やしてくれます。
「それは、愛じゃない」
と切り捨てることは、簡単です。
けれども、「もしかしたら、このリストに載っていない愛し方って、あるのかもしれない」と考えることは、私たちの愛に深みを与えてくれます。
大切な人を喜ばせようと思ったときに、愛し方のバリエーションがたくさんあればあるほど、その人の受けとりやすい形で与えることができます。
大切な人の愛を受けとろうと思ったときに、愛の定義が広ければ広いほど、受けとれる愛は大きくなり、大切な人は受け取ってもらえたことに喜びを感じます。
それは、しかたなく相手に合わせるという我慢や忍耐ではなく、とても喜びに満ちたクリエイティブな行為です。
誰しもが、誰かのために生きようとするとき、とても生き生きとして活力に満ちるものですから。
愛することのリスト、そしてそのリストに載っていない愛を探すこと。
それは、私たち自身にとっても、私たちの大切な人にとっても、とても大きな恩恵を与えてくれるものです。
今日は、「愛すること」の定義が自分を縛ることがあるというお話と、その解消法についてお伝えしました。
今日も、ここまでお読みくださり、ありがとうございました。
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