大嵜直人のブログ

文筆家・心理カウンセラー。死別や失恋、挫折といった喪失感から、つながりと安心感を取り戻すお手伝いをしております。

「愛すること」の定義が、自分を縛ることもある、というお話。

「愛すること」の定義は、人それぞれに異なるものです。

時にその定義が自分を縛ることになり、大切な人とすれ違いを生むことがあります。

その原因と処方箋について、お伝えします。

1.何かについて定義するとは、「そうでないこと」を定めること

今日のテーマは、タイトルで全部語ってしまっているような気がしますが、気にせずに書いていきます笑

何かについて定義することは、「そうでないこと」を定める働きを持ちます。

たとえば、「犬」というものを定義すると、自動的に「犬ではないもの」を決めることになります。

ダックスフンドは、犬です。秋田犬も、犬です。

しかし、茶碗は犬ではありませんし、ネコも犬ではありません。また、電信柱も犬ではありません。

これは、「言語」というものの持っている力と、非常に密接な関係があります。

本来は切れ目のない世界を、私たちは「言葉」で区切っていきます。

「赤」という言葉で切り取られたものがあるとすると、その周りには「赤ではない」ものが残ります。

さしずめ、一枚の画用紙から、チョキチョキと「赤」の部分だけを切り取った、残りの部分のようなイメージでしょうか。

そのように、何かを定義するということは、「そうではない」ことを定めることと同じです。

2.「愛すること」とは、なんだろう?

私とあなたで異なる、「愛すること」の定義

さて、「愛すること」の定義について、考えてみます。

一見、それは同じように見えますが、その定義は一人一人によって違い、実にさまざまです。

厳しく躾をすることが、「愛すること」と定義する人もいます。

触れたりスキンシップをすることが、「愛すること」と定義する人もいます。

一生懸命に家の外で働くことが、「愛すること」と定義する人もいます。

辛いときやしんどいときに一緒にいることが、「愛すること」と定義する人もいます。

「愛すること」の定義は、ほんとうに十人十色で異なります。

そして、誰もが自分の「愛すること」の定義に合った愛し方をしますし、またその方法で愛されたいと感じるものです。

いつもかまってほしいと感じる人は、自分の体調が悪かったり、病気になったりしたときには、一緒にいて看病したりしてほしいと思うものです。

熱が出ていたら体温計を持ってきて、冷えピタを買ってきたり。

食欲があまりなかったら、食べやすいお粥を作ってくれたり。

そうした行為を、「愛されている」と感じる。

しかし、その反対に、しんどいときはそっと一人にしておいてほしいと感じる人は、その逆の行動をとってしまうものです。

しんどいときは、話をするもの辛いだろうから、一人にしてあげよう。

見放すのではなく、そっと距離を置いて、見守ってあげよう。

そんな行動を「愛すること」と定義する人も、いるのでしょう。

はい、ご想像の通り、人間関係におけるすれ違いの多くは、この「愛すること」の定義の違いによって生まれます。

「こんなにしんどいのに、放っておかれるなんて、愛されていないんだ」

そんな風に感じてしまうことが、あるかもしれません。

けれども、それは誤解なのかもしれません。

愛しているからこそ、大切だからこそ、そっとしておいているのかもしれない。

それは、ある意味で悲劇です。

当たり前と感じることほど、確認しないもの

厄介なのは、その「愛すること」の定義が、自分にとっては当たり前すぎることです。

「これって、赤い色だよね?」とか、「このブニャブニャ言ってる生きものって、ネコだよね?」とか、わざわざ確認しないですよね。

それと同じで、わざわざ「愛すること」の定義を、相手に確認したりしないものです。

だって、当たり前だから。

当たり前すぎるから。

けれども、その当たり前が、すれ違っていることが、とても多いものです。

こと「愛すること」というのは、人間にとってとても自然で、とてもコアな部分といえます。

そして、関係性が近しい人ほど、私たちは自分自身を「投影」しやすくなります。

自分が持っている「愛すること」の定義を、相手も同じように持っているはず、と自分自身を投影してしまうわけです。

こうした「愛すること」の定義のすれ違いは、関係性が近くなるほどに、起こりやすくなるといえます。

3.すれ違いを解消するための処方箋

「愛すること」のリスト

このすれ違いを解消するためには、まずは自分が「愛すること」をどう定義しているのか?を知ることが第一歩といえます。

どんなときに、愛情を感じるのか。

どんなことをされると、愛されていると感じるのか。

どんな言葉を、愛と感じるのか。

愛するとは、どんな行動なのか。

それを、一度書き出してみることを、おすすめします。

なかなか恥ずかしいと感じるかもしれません。

けれども、言語化できると、割とスッキリするものです。

そしてそのリストは、あなたが大切な人に与えたいと感じたときに、真っ先に選ぶ方法でもあります。

「愛し方」というのは、その人らしさが最も出るものでもあります。

あなたのリストには、どんな愛し方が並んでいるのでしょうか。

そのリストの外には、「愛」はないのだろうか?

そのリストは、あなたという人の素晴らしさを表すリストです。

しかし、次に注目したいのはそのリストに「書かれていないこと」です。

今日のテーマの冒頭で、「何かを定義することは、同時に『そうではないこと』を定めること」とお伝えしました。

「愛すること」を定義すると同時に、そのリストに載っていないものは、すべて「愛ではない」と定義している可能性があります。

さて、そのリストに載っていないものは、すべて「愛ではない」のでしょうか。

これは、ある意味でとても難しい問いかけです。

けれども、その問いを考えることは、私たちの心の器を広げ、受けとれる愛の総量を増やしてくれます。

「それは、愛じゃない」

と切り捨てることは、簡単です。

けれども、「もしかしたら、このリストに載っていない愛し方って、あるのかもしれない」と考えることは、私たちの愛に深みを与えてくれます。

大切な人を喜ばせようと思ったときに、愛し方のバリエーションがたくさんあればあるほど、その人の受けとりやすい形で与えることができます。

大切な人の愛を受けとろうと思ったときに、愛の定義が広ければ広いほど、受けとれる愛は大きくなり、大切な人は受け取ってもらえたことに喜びを感じます。

それは、しかたなく相手に合わせるという我慢や忍耐ではなく、とても喜びに満ちたクリエイティブな行為です。

誰しもが、誰かのために生きようとするとき、とても生き生きとして活力に満ちるものですから。

愛することのリスト、そしてそのリストに載っていない愛を探すこと。

それは、私たち自身にとっても、私たちの大切な人にとっても、とても大きな恩恵を与えてくれるものです。

 

今日は、「愛すること」の定義が自分を縛ることがあるというお話と、その解消法についてお伝えしました。

今日も、ここまでお読みくださり、ありがとうございました。

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