「話す」ことと「聞く」こと。
よく対にされることが多いものですが、その二つには順序があります。
まず「話す」ことで、人は「聞く」ことができるようになります。
1.「話す」ことと「聞く」ことの順序について
「話す」ことと、「聞く」こと。
よく対にされることが多いものですが、実際には非対称な部分が大きいものです。
深めると非常に面白いテーマではあるのですが、今日はその「順序」について、考えてみたいと思います。
典型的な例でいうと、人は不安なときや、あるいは何か困ったときに「聞こう」とします。
いまの自分には無い、何か特別な情報を求めて、誰かの話を「聞こう」とするわけです。
私自身にも、非常に思い当たる節があります。
けれども、「聞く」ということは、聞く側に準備ができていないと、難しいものです。
準備、というのは、余裕とも言い換えられます。
自分のなかに、新しい話を聞くスペースがないと、どんな素晴らしい話を聞いても受け入れられないわけです。
そして、その余裕をつくるのが、「話す」という行為です。
つまり、人はまず「話す」ことで、「聞く」ことができるようになると言えます。
2.「許し」の順序との類似
このことは、どこか「許し」の順序と類似しています。
「許し」に至るプロセスと、「感情的理解」とは何か。 - 大嵜直人のブログ
「許し」に至るプロセスの大切な一つに、「感情的理解」というものがあります。
「その人と同じ立場なら、自分も同じことをしたかもしれない」
というように、起こったできごとやその人に対して、感情的な視点から理解を進めることを指します。
しかし、最初からそれができるわけではなく、そこに至る前に「感情の解放」が必要になります。
溜まっていた感情を解放することで、自分の心のなかに余裕をつくる必要があるわけです。
相手のことを理解するためには、自分のなかの感情のわだかまりを解消して、心に余裕をつくることが先に必要になります。
それはどこか、「話す」ことと「聞く」ことの関係に似ています。
人の話を真摯に「聞く」ためには、自分の話を「話す」ことが先に必要になるわけです。
「まずは、自分自身を整える」
いろんな場面で言われるその真実は、話すことと聞くことのなかでも、同じことのようです。
3.「話す」ことの効用について
「話す」ことには、実にさまざまな効用があります。
話すことは、自然と話し手の感情を解放させ、スッキリする効用があります。
もちろん、日常的にそれをされている方はいらっしゃいますが、こと自分自身のコアな部分について話すほどに、その効用は大きいものです。
あるいは、話すことで、自分自身が抑え込んでいた感情に気づくこともあります。
私自身、肉親を突然亡くすという非常にショックなことがあったとき、医療関係の方から「とにかく、抱え込まないで誰かに話すようにしてください」と教えていただきました。
「もちろん、なかなか気軽にできる話ではないかもしれません。『話ができる場所』を確保するということを、意識してみてください」
とも、教えていただきました。
そうなんですよね。
「話をすること」も難しいのですが、「話ができる相手」を見つけることもまた、難しいものです。
そして、当時の私には、なかなかその場所を見つけることができなかったことも、苦しいものでした。
だからというわけではないのですが、「話ができる場所」をつくり続けることは、私がカウンセラーとしての活動を続ける中で、大切なことの一つになっています。
どんな話でも、それを真摯に聞いてくれる場所。
それは、いま必要ではないかもしれません。
けれども、それが必要となったときに、その場所を提供できるようにしていたいと思うのです。
今日は、「話す」ことと「聞く」ことの順序、そして「話す」ことの効用についてお伝えしました。
今日も、ここまでお読みくださり、ありがとうございました。
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