大嵜直人のブログ

文筆家・心理カウンセラー。死別や失恋、挫折といった喪失感から、つながりと安心感を取り戻すお手伝いをしております。

「どんなときに愛されていると感じるか」というリストをつくってみると、見えてくるもの。

「どんなときに愛されていると感じるか」について、リストアップしてみると、自分自身の愛の形が見えてきます。

そして、そこに書かれなかったことにも、大きな意味があるようです。

名著「傷つくならば、それは「愛」ではない」(チャック・スペザーノ博士:著、大空夢湧子:訳、VOICE:出版)の一節から。

1.愛とは、何も執着せずにすべてを与えること

愛は安全を求めません。

愛はただ愛すること、すべてを与えることを求めるだけです。

あなたの愛をとめることは、何ものにもできません。

たとえ相手があなたを拒絶しても、あなたから逃げだしても、あなたが相手を愛することはだれにもとめられません。

 

愛は保証も保険も求めません。

愛は、ただひたすら愛することを望みます。

それゆえに愛は誕生であり、浄化の炎であり、存在することのすばらしさそのものなのです。

愛は生きることのヴィジョンと目的すべてでもあります。

 

「傷つくならば、それは「愛」ではない」 p.459

f:id:kappou_oosaki:20220103095718j:plain

2.何に「愛」を感じますか?

今日のテーマは、「愛」そのものです。

理論的に語れるものでもないと思いますので、少しワークなども含めて書いてみたいと思います。

どんなときに、愛されているかと感じますか?

「あなたは、どんなときに、愛されていると感じますか?」

できれば、ゆっくりと考えていただきたい問いかけです。

答えがひとつ、ということもありません。

あなたが感じるままに、リストアップしてみてください。

  • 「愛している」と言葉で伝えられたとき。
  • スキンシップがあるとき。
  • 自分が大変なときに、励ましてくれる。
  • プレゼントをもらったとき。
  • 一緒の時間を過ごしているとき。

…などなど、いろんな愛の形があるかと思います。

その他にも、実にたくさんの形がありますよね。

もちろん、正しい答えなどありませんし、百人いれば百通りの愛を感じるときがあるのでしょう。

そのリストを眺めていると、実にいろんなことがわかります。

一つは、そのリストは自分自身が、与えられてきた愛の形です。

これまで生きてきたなかで、リストにあるような愛を、与えられてきた時間が、あったのではないでしょうか。

そのリストは、私たちが今日まで愛されてきた証でもあります。

そして、もう一つ。

そのリストは、自分が愛を与えようと思ったときに、相手にしてあげようとする形にもなります。

リストの一番目に出てきた形は、あなたが無意識的なレベルで、相手に与えようとする愛の形でもあるのでしょう。

あなたのリストは、どんな項目が並んでいるでしょうか。

そのリストは、不満の種にもなりうる

さて、光があれば影があるように、「愛の形のリスト」にも、気をつけなくてはいけない裏側の面があります。

それは、「そのリストの形だけを求める」という心理がはたらきやすい、ということです。

もっと言うと、「そのリストに載ってなければ、愛じゃない!」と思い込んでしまうこともある、ということです。

たとえば、風邪を引いて熱を出して寝込んでしまったとします。

その人の「愛のリスト」には、「自分の体調が悪いときは、世話をしてくれる」と書かれていたとします。

すると、こんなに体調が悪いんだから、風邪薬やポカリスエット、冷えピタを買ってきて、おかゆを炊いてほしいな、と感じるものです。

「大事なパートナーなら、そうするのが当たり前じゃない?」とまで考えるかもしれません。

しかし、そのパートナーの「愛のリスト」には、「体調が悪いときには、そっとしておいてくれる」というリストが書かれていたとしたら。

「体調悪そうだね。ゆっくり休んでね」

とLINEだけ送って、あとはなしのつぶてにするかもしれません。

自分だったら、そっとしておいてもらうのが、愛されていると感じるのですから。

すると、「は?こんなにひどい体調なのに、見舞いにも来ないなんて…大切に想われていなんだな…」と感じてしまうわけです。

はい、なかなかの悲劇ですよね。

どちらが悪いわけでも、そこに愛がないわけでもありません。

むしろ、お互いがお互いを愛している。

けれども、お互いの「愛のリスト」に書かれている形が違うゆえに、その愛がすれ違い、空振り、葛藤になってしまう。

「愛のリスト」は、自分が愛されているかのチェックリストになり、不満の種になってしまうことがあるわけです。

お互いが傷つけようと思っているわけでもないのに、かくも「愛」とは、難しいものです。

3.愛するとは、何だろう

私たちが持っている、「愛のリスト」。

その外にある形を受けとれるようになると、少し違った風景が見えてくるのかもしれません。

人が人を愛する形は、無限の形があります。

それをどこまで受けとれるかで、人生の豊かさがまったく違ってきます。

「愛のリスト」に書かれていることは、自分をつくってきた愛の軌跡です。

そして、そこに書かれていないことは、これから自分が受け取れる愛のかたちであり、その大きさ。

そんなことが、言えるのかもしれません。

 

愛とは、何も執着せずに与えること

今日の引用文のタイトルも、一つの愛の形です。

もしよければ、もう一度、先ほどつくっていただいた「愛のリスト」を眺めてみてください。

何か、感じることはありますでしょうか。

先ほどと、違った感じはありますでしょうか。

それとも、変わらず同じでしょうか。

何が正しいも、間違っているもありません。

ただ、そこで浮かんでくることを、そのままに感じてみてください。

 

さて、最後にもう一度、お伺いします。

あなたにとって、愛するとは、なんでしょうか。

愛するとは、どんなことでしょうか。

 

今日は「愛」という無限のテーマで、少しお伝えしました。

ここまでお読みくださり、ありがとうございました。

〇大嵜直人のカウンセリングの詳細はこちらからどうぞ。

※次回2月度の募集は、1月25日(水)開始を予定しております。

〇カウンセリングのご感想のまとめはこちら。