私たちは、自分が当たり前のようにできることは、周りの人も同じようにできると思い込んでしまうものです。
それゆえ、どうしても目に付く周りの人の短所は、自分にとっての「才能」を教えてくれます。
1.悩みの種に、才能の光を見ること
昨日の記事では、悩みの種は「才能」の在りか、というテーマでお伝えしました。
心理学では、「才能」を「gift」と表現します。
「才能」とは、与えられた「贈りもの」であると考えるわけです。
それが与えられたものであるがゆえに、「才能」はその人にとって当たり前すぎて、あまり自覚していないことが多いものです。
そして、自分の「才能」に対して無自覚であることは、時に弊害を引き起こすものです。
生きづらさであったり、悩みの種になってしまったり。
それは、たとえるなら、スラム街で大金を裸で持ち歩くようなものかもしれません。
もし、そんなことをしていたら、好奇の目で見られたり、危ない目に遭ったりもするかもしれません。
けれども、私たちは自分の「才能」については、そんなことをしてしまうものです。
かけがえのない「才能」を、ちっぽけなもの、どうしようもないもの、どうでもいいものとして扱ってしまうような。
そうならないためには、自分自身について、よく知っておくことが必要になります。
だからこそ誰もが自分を知るために、コーチングやカウンセリング、あるいは占いや鑑定を受けたりするのでしょう。
もちろん、そうして自分以外の人の力を借りることも大切ですが、自分が人生のなかで悩んできた問題を、「才能」の視点から見てみることも可能です。
その「才能」があるがゆえに、頭を悩ませもするし、ときには自己否定に陥ったりもするわけですから。
昨日の記事では、そんな「才能」の持つ性質について、お伝えしました。
2.「投影」の視点から見る才能
今日は、「才能」はなぜ自分では自覚しづらいのか、という点について、もう少し掘り下げて考えてみたいと思います。
心理学的な視点を使うのであれば、やはり「投影」の法則ということになるのでしょう。
私たちは、自分自身の内面を、外の世界に映し出します。
悲しい気分であれば、その感情を周りの人や景色やものに映し出します。
楽しい気分なら、その「楽しいフィルター」をかけて、周りを見ます。
これは、なんとなく分かりやすいですよね。
その他にも、自分が過去に出会った人を、いま目の前の人やものに重ねてしまうこともあります。
以前に別れたパートナーを、いまのパートナーに重ねたり。
あるいは、父親との関係性を、仕事の上司に重ねたり。
もっと深いところでは、自分の価値観や観念といったものを、世界に映し出したりもします。
このあたりになると、なかなか自覚することが難しかったりします。
これらの心のはたらきを、「投影」と呼んだりします。
さて、昨日の記事でも、「才能とは、自分自身が当たり前のようにしていること」と書きました。
まるで息をするように、自然にしていることこそが「才能」である、と。
そうすると、必然的にそれを周りの人に「投影」するわけです。
自分は呼吸をすることができるのは当たり前だから、周りの人もできるのが当たり前だろう、と。
けれど、そうではないですよね。
花粉症の人もいれば、喘息を患っている人もいる。
他人とのコミュニケーションにおいては、これがすれ違いを生む大きな要因の一つになります。
LINEの返信は当日中にするのが当たり前。
自分が使った食器は、自分で洗うのが当たり前。
アポイントに遅れたときは、謝るのが当たり前。
自分のなかの当たり前が通じない人が表れたとき、ギャップを感じたり、「は?」と怒りを感じたりしますよね。
まあ、誰でも思い当たる節は、たくさんあると思います笑
けれども、「才能」を自覚していないと、ずーっと周りの人みんなに、そうしたズレを感じてしまうのでしょう。
あなたが当たり前にできることは、相手は当たり前にできないんです。
もちろん、その逆も真ですけれどね。
3.目に付く他人の短所が教えてくれるもの
「才能」を自覚しないことが、周りとのコミュニケーションをいかに阻害するか、少しご理解いただけたでしょうか。
何も、「才能」をひけらかしたり、天狗になる必要はありません。
まして、それを周りの人と比較したり、競争したりする必要もありません。
ただ、自分がどのような分野に「才能」を持っているのか、それを自覚することは、とても大切なことです。
自覚することで、無駄なコミュニケーションのすれ違いや、無駄なやっかみや嫉妬を受けることが少なくなります。
じゃあ、どのように自覚するのか?、という話になると、先に書いたようなコーチングやカウンセリングといった、自分以外の人の力を借りることがまず一つ。
そして、もう一つおすすめなのは、「どうしても目に付く周りの人の短所」に目を向けてみることです。
「他人の短所ではなく、長所を見ろ」とはよく言われますし、それはとても大切なことです。
けれども、どうしても気になる、目に付く短所というのは、ありますよね笑
そうしたとき、「投影」の法則から見ると、それは自分が「そんなことくらい、できて当たり前でしょう」と見ている可能性があるわけです。
はい、おわかりですよね。
これ、言ってみれば自分にとっては当たり前にできること(=才能)であるがゆえに、それを周りの人に「投影」しているわけです。
そうすると、もしかしたら
「え?じゃあ、家族が脱いだ靴下を片付けられないところに目が向くなら、自分の才能は『靴下を片付けられる』ってこと?」
と思われるかもしれません。
もちろん、それを「才能」としてもいいのですが、もう一歩深めて、「なぜ片づけられるのか?」というところに目を向けてみてはいかがでしょうか。
その行動をする前提というか、それをすることで成し遂げたかったもの、あるいは守りたかったものは、何なのか。
それは、きっとあまりにも当たり前すぎて、言語化することもなかったことなのかもしれません。
どうしても目に付く他人の短所は、自分の「才能」を指し示してくれるものです。
今日は、「投影」から見る「才能」をテーマにしてお伝えしました。
ここまでお読みくださり、ありがとうございました。
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