私たちには、自分自身を癒していく力が備わっています。
しかし、その力をせき止めてしまうのが、自己否定と自己不信です。
1.「時間」という癒しの力
昨日の記事では、「時間」が持つ癒しの力、というテーマでお伝えしました。
「時間」という癒しの力があるから、今日できることをすればだいじょうぶ。 - 大嵜直人のブログ
「喉元過ぎればナントヤラ」ではないですが、過ぎ去ってしまったことは、忘れてしまうものです。
「最高の癒しは忘却」と言われたりもしますよね。
ある問題が自分のなかで解決したときとは、その問題の存在を忘れてしまったときだったりします。
以前は、寝ても覚めても、その問題が頭を離れなかったのに、いまは思い出すことも少なくなってしまった、といったように。
そして、忘却をもたらすのは、「時間」です。
ただ、忘れられないくらいしんどい経験や、辛い記憶というのも、もちろんあるとは思います。
それをなかなか消化できずに、苦しい想いをしてしまうこともあるでしょう。
カウンセリングでも、そうしたことがテーマになったり、小さいころの家族とのできごとで感じたことをお話しいただくこともあります。
そうして、過去の未消化の感情を癒していくと、いま現在の関係性に変化が起こったりします。
ただそれと同時に、「時間」が持つ癒しの力があることを、頭の片隅に置いても、いいのではないでしょうか、というのが昨日のテーマでした。
結局のところ、それは自分自身を信じることと、同じことといえます。
自己治癒力、とでも表現したらいいでしょうか。
「自分には、自分を癒していく力がある」
それを信じているか否かで、「時間」がもたらす癒しもまた、大きく変わってくるようです。
だから、自分が今日できることを積み重ねていく、それだけでいいんです、というのが昨日のテーマでした。
2.「癒し」を止めるのも自分
「時間」という癒しの力があるならば。
何もしなくても、私たちは癒されていくのかもしれません。
しかし、もしそうだとしたら、なぜ私たちは何かに悩み、苦しむのでしょうか。
あるいは、癒されていると感じられなかったりするのでしょうか。
それは、どこかで私たち自身が、その「癒し」の力を止めるようなことをしているのかもしれません。
たとえば、何かにつまずいて、足首をねんざをしてしまったとしても、それは時間とともに治っていきます。
カゼを引いて、熱を出したとしても、何日かすれば治っていきます。
しかし、そうした怪我をしたとき、病気に罹ったときに、自分の身体をいたわらず、傷つけるようなことをしていたら、どうでしょうか。
「ねんざで痛いなんて言うのは、軟弱でけしからん!」とばかりに、足首の痛みを無視して、ハードなランニングや筋トレを毎日続けたり。
「38度なら、まだ動けるから」と言って、いつもどおりに家事や仕事をしようとしたり、あるいは「迎え酒だ」とばかりに飲み歩いたり。
そんなことをしていたら、治るものも治らなくなってしまいますよね。
もしかしたら、ねんざが癖になってしまったり、風邪をこじらせて肺炎になってしまったりするかもしれません。
私たちには、自分の身体を癒していく力がありますが、自分でその力をせき止めてしまったら、治るものも治らないわけです。
癒すのも自分なら、その癒しを止めるのもまた、自分自身のようです。
3.自己否定と自己不信
さて、身体のことは、先ほど見た通りとして。
心のほうでは、どうでしょうか。
私たちが、自分自身の心を癒していく力。
それを、せき止めてしまうもの。
それは、自己否定と自己不信なのでしょう。
まあ、二つとも似たようなものではありますが。
私たちには、自分自身を癒していく力があります。
それは、さしずめ、川上から川下へ、そして大海へと流れていく、川の流れのようなイメージです。
悲しみや苦しみ、いろんな痛みを、流していって、浄化していく力が、私たちにはあります。
しかしその流れを、巨大なダムのようにせき止めてしまうのが、自己否定と自己不信です。
それらは、自分自身の持つ癒しの力を阻害し、その流れを逆流させます。
「私はひどい人間だし、笑顔になってはいけない」
「私には、そんな力なんて無い」
そんなダムをせっせと作っていたら、流れる水も、流れなくなると思いません?
だから、自分のことを否定せず受け入れること、自分の価値や才能、魅力を信じることは、ほんとうに大切なことなんです。
さて、「じゃあ、自己否定や自己不信をやめたら、ええんやな」となるんですが、もちろん結論的としては、それが正しいです。
それが抵抗なくできるのであれば、それに越したことはありません。
けれども、なかなか自分を否定するのって、やめられませんよね。
自分の価値って、なかなか信じられませんよね。
そうしたときに、「なぜ、そんなにせっせとダムを作ってきたのだろう?」という視点で見ていくのが、カウンセリングです。
「なぜ、そんなにも自分を否定せざるを得なかったんだろう?」
「なぜ、そんなにも自分の価値を信じないでいたいんだろう?」
という視点です。
これは、何か模範的な回答がある問いではありません。
十人いれば、十通りの答えがあるのでしょう。
そしてその答えとは、決してネガティブなものではないと私は思うのです。
その人が、その人の持つ偉大な癒しの力をせき止めてまで、自分を否定してきたこと。
その裏側には、その人が人生をかけてまで、成し遂げたかった何かがあるはずなんです。
多くの場合、それは大切な人(それも、最も愛を伝えるのが難しい相手)を想う気持ちだったりするものではありますが。
…ちょっと、話がいろいろ逸れてしまって、分かりづらくなってしまったかもしれません。
今日のテーマは、「癒し」を止めるのは、自己否定と自己不信であること。
だからというわけではないのですが、自分を肯定し、自分を信じることが大切なんだなーという、いつもの結論に落ち着いてしまいました笑
今日は、「癒し」の力をせき止めるもの、というテーマでお伝えしました。
ここまでお読みくださり、ありがとうございました。
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