先日、このブログのご感想をいただきました。
ネットの大海のなかで、私のブログを見つけてお読みいただいて、お役に立てたようで。
そのうえ、ご感想までいただいて、ありがたい限りです。
いまは、動画全盛の時代です。
そんな時代に、こうしてブログという文章オンリー(ちょっとだけ画像はつけてますが笑)の媒体で、喜んでいただけたのがうれしくて、今日はちょっとそんな話題を。
なんというか、私自身が、そうなんですよね。
そう、というのは、やはり文章が好きなのです。
動画が嫌いというわけでもないのですが、観るのに時間がかかるのが苦手でして。
もちろん、だからこそ表現できるものがあるのでしょうけれども。
動画にしても、音楽にしても、時間の芸術という側面がありますよね。
ただ、それが文章だと、こう、自分のペースで読めるじゃないですか。
で、好きなところで止まったり、考えたり、味わったりしながら。
読み進めることができる。
これが動画や音楽だと、なかなかそうはいかないんですよね。
一時停止したりしながらは、観ないじゃないですか。
(いや、観る人もいるんでしょうか…1.5倍速とかする人はよく聞きますが)
それが文章だと、その書き手のリズムと、自分のリズムをすり合わせながら、読むことができる。
だから、好きなのでしょうか。
自分の好きな文章や、作家の方の作品に触れたときの喜びは、格別なものがあります。
格別であると同時にまた、居場所でもあるのですよね。
この人の本を開いている時間。
この人のブログの更新を楽しみにする時間。
それは、何人たりとも奪うことのできない、自分だけの居場所です。
私自身がしんどいとき、道に迷ったときに、そばにあったのが言葉でした。
私もまた、辛いときに、ネットの海の中でみつけた言葉に、希望を見てきました。
手帳に、その言葉を書き写して、毎日その言葉を眺めていました。
そうしたしんどいときって、やはり「生きよう」とする意志が、強くはたらいているときだと思うんです。
生きながら死んでいるような、そんなときは、そのしんどさも感じなかったですから。
そして、その意思があるとき、自分の求める言葉に出逢うものだと思います。
しかし、言葉は不完全で、言葉では伝わらないものが、たくさんあります。
すれ違いを生むのも言葉ですし、それが人を傷つけることもあります。
あるいは、どんな言葉をかけても、きっと届かない。
そう感じるような瞬間もまた、あります。
けれど、言葉で伝わることもまた、あります。
事実、私は言葉に希望を見ることで、歩いてきました。
その言葉を信じることで、保つことができた何かが、ありました。
言葉を不特定多数の人に伝える、というのは、一昔前ならばとても難しいことでした。
大金を払って新聞や雑誌に掲載してもらう。
類まれな才覚と幸運で、多くの人が知るくらいに有名になる。
あるいは、多くの人が読むに耐えうる強度の作品を、世に送り出す。
…いずれも、簡単なことではありません。
けれども、いまを生きる私たちには、こうしてブログであったり、SNSであったり、それを伝えることのできる手段があります。
何と有り難いことか、と思うのです。
けれど、良くも悪くも、多くの人が表現の場を得たことで、言葉の価値は下がりました。
粗悪な使い方をする人がいるのもまた、事実です。
これから先、生成系AIが当たり前の世の中になるにつれて、言葉の「デフレ」はさらに進むようにも思いますが、どうなんでしょうね。
マッサージチェアもいいけど、やっぱり人の手によるリラクゼーションを求める方もいらっしゃるように思うのですが、どうでしょうか。
それとは、ちょっと意味が違いますかね笑
いただいたご感想から、とりとめもないお話になってしまいました。
ただ、ご感想で「筆を止めないでください」と励ましをいただきました。
ありがたい限りです。
これからも、書き続けていきたいと思います。
そしてどこかで、また、あなたの心をあたためることができたならば。
それ以上の僥倖は、ありません。