母も、同じところで、いつも止まっていたように思い出す。ぼんやりとした夜に、よくピアノを弾いていた。
気雪散じて、水と為る。いつか、また水に還るように。時に雨水、春に向かう道すがら。
感情が、深いところから染み出してきたものだとするなら。人と人とのつながりを、感じさせるためのものなのかもしれない。感情は、やはり伝えるためにあるのだろうと、私は思う。
愛知県一宮市「真清田神社」を訪れた。この日は風も強く、冬に戻ったかのような、冷たい雨が滴っていた。
嗅覚は、どこか記憶を呼び起こす。嗅覚と記憶を司る期間は、近い場所にあるのだろうか。
変化を愛でるのは、生きていることの喜びともいえる。春は、もうすぐそこまで。
いまから21年前、ミレニアムの京都記念に想いを寄せ、ウマフリさんに寄稿させていただきました。