変化を見つめるというのは、ある種の愉悦である。
何かを育てることもそうだし、
目に見えない関係性の変化もそうだし、
あるいは、季節の移ろいを見つめることもそうだろう。
何気なく、外を歩いたとき。
目に入ってくる色、というものがある。
それは、自らの内の心もように依るのではあるが、やはり季節によって移ろいゆく色があるように思う。
早春の色は、やはり黄色のように感じる。
菜の花、水仙、チューリップ、タンポポ…
春に咲く花に、黄色が多いからだろうか。
今日も、ふと外を歩いていると、黄色が目に留まる。
立春から雨水に向かう時候、七十二候では、魚上氷/うおこおりをいずる。
冷たく張っていた川面の氷が割れ、その下で泳いでいた魚が跳ねあがるころ。
ほんのわずかに感じられた春の息吹は、確かな実感となって、目に見える変化をもたらすように。
春は、黄色からはじまる。
有名な、そんな言葉を思い出す。
落ち葉、枯れ葉の茶色、椿の白、あるいは赤。
どこか、モノトーンか、ビビッドという両極端なのが冬らしい色に感じるが、春はそれをぼんやりと和らげていくようだ。
冷たく肌を刺すような風も、いつしか輪郭のぼやけた温い感じがするように。
変化を愛でるのは、生きていることの喜びともいえる。
春は、もうすぐそこまで。