もしも、仮に。神さまがいるとするなら。あんなふうに、変な関西弁を話すのかもしれない。そんなことを、思った。
早朝の真清田神社を訪れる。 手帳を見てみたら、ちょうど一月ぶりの訪問だった。
時に、啓蟄。 あるいは、菜虫化蝶、なむしちょうとなる。
誰かが信じていても、誰も信じていなくても。皆が待つにぎやかな桜並木でも、誰も通らない深山の淵でも。花は、咲くのだ。だからこそ、こころ惹かれる。
いまから30年前の春。桜花賞トライアル、報知杯4歳牝馬特別。稀代の快速牝馬・イソノルーブルと、気鋭の若手だった松永幹夫騎手のコンタクト。そんな思い出に寄せて、ウマフリさんに寄稿させていただきました。
風と、光と。訪れた、春とともに。桃始笑、ももはじめてわらう。
今日のわたしは、いつかの日の誰かでもあり。瞬間は、永遠でもある。