時に、啓蟄。
あるいは、菜虫化蝶、なむしちょうとなる。
菜虫とはその字のごとく、アブラナや大根などの葉につく青虫を指し、モンシロチョウなどの幼虫。
長い冬を越したサナギが羽化し、美しい蝶へと姿かたちを変える。
いきものは、不思議だ。
時に、まるっきり、姿かたちを変えてしまう。
息子が最近放置しているカブトムシの幼虫も、いまは芋虫のごとき姿だが。
もう少ししたら、その身体が白から黄色に変わっていき、そして土のなかに空洞をつくし、サナギに化ける。
そこから、さらに1ヶ月ほどで、あの力強い角を持ち、固く黒光りする姿に変わる。
一体、あのぶよぶようねうねした身体の、どこにそんな要素が潜んでいるのか。
いつも、不思議になる。
それは、季節にしても同じかもしれない。
大寒にむかうころの、あの寒風吹きすさぶ、張り詰めた冷気。
それが、いつしか緩んで、眠気を誘う暖かさに変わっていく。
真夏のうだるような陽射しの下では、それが陰るを想像するのは難しい。
ただ、時が来れば、そうなるだけだ。
見上げれば、咲き誇る木蓮の花。
一年に一度だけ咲くというのも、考えてみれば奇跡に近い。
花もまた、変身をしている。
その花弁は、どこか菜の花畑を舞う、モンシロチョウに似ていた。
菜虫化蝶、なむしちょうとなる。
春が、そこかしこに。
天国への階段のような。