音に波があり、海に波があり。
風に揺らぎがあり、生きることにも山谷があるように。
空模様もまた、日々変わりゆく。
昨日は、久しぶりに土砂降りという表現がぴったりとくる雨風だった。
朝から気圧は低く、身体もずしりと重い感じがした。
だからだろうか、朝から頭痛がひどかった。
それが一夜明けると、透き通った青空が広がっていた。
それは、秋の台風一過の空のような清々しさを想起させてくれた。
時に台風がそうであるように。
大きな低気圧が通った後は、澱んだ空気を巨大なエネルギーでかき混ぜ、そして吹き飛ばしていく。
大きな雨、風が過ぎ去った後の、今日の風は、もう新緑のころを思わせるようだった。
いつもの川沿いの道も、あちこちで春の花が咲き始めていた。
雪柳、木蓮、ミモザ…ほんの数日の間に、これほど変わるのかと驚嘆するくらいだ。
桜並木の下を歩く。
見上げれば、その枝先の蕾は、微かに緑色を帯びていた。
ほんの少し前までそれは小さな茶色で、赤子の手のように、固く握りしめられていたのに。
その小さな緑色の中に、あんなにも人々のこころを騒がしくさせる、薄桃色の花が詰まっていると思うと、不思議な心持ちがした。
世の中にたえて桜のなかりせば
春の心はのどけからまし
千年以上も前の歌人すら、そう歌っていたように。
その花を待ち、人々のこころを躍らせる、そのエネルギー。
それが、その小さな緑色の蕾に詰まっている。
なぜ、そんなにも大きなエネルギーの花を、咲かせることができるのだろう。
そんなせんない自問に対して、並木の下を歩きながら、答えをぼんやりと考える。
誰かが信じているから。
もし、そうであれば、素敵なことだ。
けれど、そうでもないような、気もした。
誰かが信じていても、誰も信じていなくても。
皆が待つにぎやかな桜並木でも、誰も通らない深山の淵でも。
花は、咲くのだ。
花は誇らず、ただ咲く。
だからこそ、こころ惹かれる。
この小さな蕾の中は、無限。