大嵜直人のブログ

文筆家・心理カウンセラー。死別や失恋、挫折といった喪失感から、つながりと安心感を取り戻すお手伝いをしております。

その瞬間に立ち会う奇跡を味わう。 ~1997年天皇賞・春 雑感

また台風と雨の週末になりました。

これで10月はずっと週末雨だったように思います。そんな月もあるのですね。

歴代の春の天皇賞の中でも、屈指の好勝負となったレースに寄せて。 


 

第16世名人、中原誠。

その卓越した指し手で、大山康晴以降、谷川浩司以前の棋界を従えた。

棋風は号して自然流。

1997年天皇賞・春、マヤノトップガン。

鬼才・田原成貴騎手の騎乗は、そんなフレーズを想起させる。

その晩年に辿り着いた境地。

自然に取ったポジションは、最後方内ラチ沿い。

あの2頭を差し切るために。

3000メートルにも及ぶ長い長い導火線は、最後の1ハロンで炸裂する。

のちの薬物禍は、その孤高の天才性の裏返しだったか。

天皇賞・春。私の大好きな長距離レース。

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2017.4.30


 

1997年の天皇賞・春は、3頭の名馬を駆る3人の名手による激突となりました。

サクラローレル。

前年の天皇賞・春で、復活を期したナリタブライアンに引導を渡し現役最強馬のバトンを受け取る。秋の天皇賞では蹉跌も、暮れの有馬記念を制して年度代表馬に選ばれる。鞍上は、円熟味を増す関東の横山典弘騎手。

マーベラスサンデー。

度重なる怪我でデビューは遅れたものの、その才能は早くから注目され、5歳となった前年に完全に開花。重賞4連勝を飾ったが、天皇賞・秋と有馬記念では惜敗。前哨戦の産経大阪杯を勝って臨む。デビューから数々の記録を塗り替え続ける天才・武豊騎手が騎乗。

そして、マヤノトップガン。

1995年に菊花賞と有馬記念を制し、年度代表馬の栄誉に浴する。期待された翌年は宝塚記念を勝ったものの、天皇賞・春、有馬記念とサクラローレルの後塵を拝する。前哨戦の阪神大賞典を勝って捲土重来を期す。鞍上は、孤高の鬼才・田原成貴騎手。

 

こうした「3強」と注目されるレースは、往々にしてその3強での決着では決まらないのですが、1997年の天皇賞・春は3強が持てる力を存分に出し切って決着した、歴史に残る名勝負でした。

レースはサクラローレルが先行する展開。そのあとを虎視眈々とマーベラスサンデーがマークする。マヤノトップガンは最後方近くから追いかけます。前年までトップガンの脚質は好位からの抜け出しだったが、前哨戦の阪神大賞典で初めて最後方から追走して3コーナー過ぎからマクって差し切っていました。

4コーナーを抜け回って最後の直線、早めに仕掛けた武豊騎手のマーベラスサンデーが抜け出しにかかるが、横山騎手が一呼吸置いて仕掛けたサクラローレルを振り切れない。残り100mでサクラローレルが内から半馬身ほど前に出た。

決まったか。

ところがラスト50m、大外から暴風のような脚で2頭を並ぶまもなく黒い帽子が差し切っていった。やはり来たのか、マヤノトップガン。決着は3分14秒4。当時の世界レコードでした。

 

その後3頭が同じレースに出走することはなく、また田原騎手も同年で調教師に転身するため騎手を引退しました。あの名馬3頭と名手3人が鎬ぎ、削り合ったのはその天皇賞が最後でした。

あのマヤノトップガンの差し脚を見ると、今も戦慄に似た思いを覚えます。

それは、二度と見ることができないキャスティングの中で起きた奇跡だからなのかもしれません。

何かそれをもとに普遍的な教訓のようなものを書こうと思っていましたが、蛇足になりそうですので、今日はその奇跡のようなレースの感動だけを書いてカンバンとした方がよさそうです。

どうぞ、ごゆっくりお過ごしください。