昨日久しぶりに気持ちよく晴れたと思ったら、また雨の週末ですね。
明日も台風が近づいているようです。
おてんとさまのご機嫌だけはどうしようもありませんから、インドアを楽しむ週末を考えた方がよさそうですね。インドアの楽しみの王道となると、映画、でしょうか。映画館の大きなスクリーンもいいですが、リラックスできる自宅映画館も素敵ですからね。
それでは、今日は映画に寄せたテーマを。
映画「いまを生きる(原題・DEAD POET SOCIETY)」に寄せて。
今を生きる。
自分の声に従って生きることの素晴らしさ、困難。
詩、ひいては文学、芸術を教えることの難しさ。
印象的なラストシーン。
かつて寺山修司が、
競馬が人生の比喩なのではない。
人生が競馬の比喩なのだ。
と語っていたけれど、
同じように、人生が映画の比喩なのだと思う。
「ただそこにある」人生に意味づけをしているのは私自身。
それならば、どんな映画のフィルムを私のスクリーンに映すのか、自由に決めていい。
喜劇でもいいし、悲劇でもいいし、のちハッピーエンドでもいい。
2017.5.18
映画「いまを生きる(DEAD POET SOCIETY)」。
1989年のアメリカ映画。1959年にアメリカ・バーモントの全寮制の高校に、同校のOBの英語教師、ジョン・キーディングが赴任してくるところから物語は始まります。
同校の厳格な規律を重んじる教育方針とは一線を画すキーディングの授業。気に入らない詩の解釈をしている教科書を破り捨てろと言い放ち、詩と生きることの素晴らしさについて熱く語る。ときに机の上に立ち、こうしただけで世界は全く違って見える、と教える。
ラテン語で Carpe diem.
英語で seize the day.
「その日を掴め」=「いまを生きろ」と、卒業生たちが並んで撮影された写真の前で伝えます。
キーディングは言います。
私たちが詩を読み書くのはカッコイイからではない。私たちが人類の一員だからだ。人類は情熱で満ちている。医学・法律・ビジネス・エンジニアリングは私たちの生活に必要なものだ。しかし、詩・美しさ・ロマンス・愛情こそが私たちが生きていく目的そのものだ。
単純にキーディングが詩を教える英語教師だから、こう言っているのではなさそうです。彼が映画の中で生徒に訴えていたのは、いろんな知識を得ることで世界を色眼鏡や固定観念で見てしまうことへの怖さと、その知識を得たあとでも「いま目の前にある」世界を存分に味わうこともできるんだよ、ということのように私には思えます。
知識を獲得することで、人は成長し、変わっていきます。
けれど時としてそれは、自由を失い、行き辛さを覚えることもあります。
眼前に広がる空の青さや、頬を撫でる風の優しさや、美しい鳥の声や、人を愛することの喜びを自らのスクリーンに映し出すことは、それ自体がキーディングの言うように「人が生きていく目的そのもの」なのかもしれません。
「グッド・ウィル・ハンティング/旅立ち」でもそうだったのですが、キーディングを演じたロビン・ウィリアムズ氏の教師役の演技は神がかっていますね。ラストシーンの穏やかな微笑み。あんな微笑みができる大人になりたいものです。
さて写真のテントウムシさんはどんな世界を見ているのでしょうか。
そんなことを考えながら呑むのも、一興ですね。
どうぞ、ごゆっくりお過ごしください。