「鍛えて馬を作る」
坂路の鬼と呼ばれた、故・戸山為夫調教師の言の葉。
他の厩舎のスタンダートが2本追いのところを、戸山厩舎の馬たちは倍の4本、坂路を駆け上がっていた。
そのハードな調教は、最高傑作・ミホノブルボンに結実する。
父・マグニテュード。
母の父、シャレー。
平凡なダート短距離の血統を非凡な調教で極限まで鍛え上げられた彼の馬は、美しい栗毛の下に鋼鉄の筋肉をまとい、桃割れの分厚い尻を躍動させ、1992年の皐月賞・ダービーを無敗で制した。
ブルボンは三冠を狙った菊花賞でライスシャワーに屈した後、怪我を発症し引退する。
最高傑作の引退と同じくして坂路の鬼もまた体調不良により休養に入り、翌1993年5月に鬼籍に入る。
その年の11月28日。
中京のメインレースを制した小島貞博騎手。
同じく阪神のメインレースを制した小谷内秀夫騎手。
彼らは戸山調教師の下で研鑽を積んだ男たちであった。
そして、東京のメインレース、ジャパンカップ。
最後の直線、抜け出したかに見えたアメリカのコタシャーンだったが、名手ケント・デザーモ騎手が残り100mの標識をゴール板と誤認。追うのを止めてしまう。
その際に内から差し切ったのが、レガシーワールド。彼の馬もまた、戸山調教師の「遺産」だった。
戸山調教師からレガシーワールドを受け継いでいた森秀行調教師は、開業から2か月足らずで国際G1を制する快挙を成し遂げる。
戸山調教師の供養と記憶される日の記憶。
全く面識も何もないが、いつか私もアチラの世界を訪れたら、戸山調教師に聞いてみたいと思う。
あのデザーモ騎手の誤認は、もしかして先生の悪戯ですか、と。
2017.11.26
世界に通用する強い馬づくりを目標として1981年に創設された国際招待競走、ジャパンカップ。アジア、欧州、北米、オセアニアから出走してきた強豪馬は、開催当初から日本馬の大きな壁となりました。
1984年・第4回でカツラギエースの「魂の逃げで」初勝利を挙げた日本馬でしたが、第12回まででわずか3勝と大きく苦戦を強いられていました。しかもカツラギエースの後に勝利したのは、皇帝と呼ばれたシンボリルドルフと、その息子・トウカイテイオーの2頭の名馬のみ。
そんな中、「鍛えて馬をつくる」故・戸山為夫調教師の「遺産」レガシーワールドが第13回ジャパンカップを先頭で駆け抜けるのですから、やはり人の信念というものは可能性の扉を開けてくれるようです。そして、その信念は時として時間を越えて伝わっていくようです。
そんな故・戸山調教師の追悼と記憶される日のジャパンカップ。
そのレースを思い出すと、私がこれから伝えていきたいことは何か?、を再認識させられるようです。
さて、今日はクリスマス・イブですね。
お客さまの周りにもやさしい奇跡が起きますよう。
どうぞ、ごゆっくりお過ごしください。