いらっしゃいませ、ようこそお越しくださいました。
今日は「アウトプットを続けることの恩恵」について綴ってみたいと思います。
いま私が思うのは、「自分の思考や感性、その表現の純度が上がる」ということと、もう一つは「自分の嗜好に合う人が集まってくれる(その逆に、合わない人は離れていく)」という二つの恩恵があると思います。
おかげさまで、昨日ご報告した競馬ブログ&WEBフリーペーパー「ウマフリ」 さんへの寄稿は、たくさんSNSで反応を頂きまして、有難い限りでした。
以前には自分が競馬に寄せて書いた文章が、誰かの目に留まって読まれるなんて全く想像もしていませんでした。
それがこうして形になったということは、やはり「ブログを書き続けてきたこと」が大きかったように思います。
それは、「アウトプットを続けること」と言い換えられるかもしれません。
もちろん直接的な理由は、このブログで綴っていた過去の競馬のレースの思い出を、たまたま興味を持って頂いた方がいらっしゃった、ということになるのかもしれません。
けれども、そこに至るまでに「アウトプットを続けること」は膨大な恩恵を私に与えてくれました。
一つ目は、私の思考や感性の純度を上げてくれたことです。
私もこうして日々書いていますが、どんなネタや切り口で文章を書いても、自分の中にないものは書けません。
一日や二日、私でない誰かに影響されたりして書けたとしても、なかなかそれは続かず、どこかでやめてしまうことになるように思います。
もちろん私もアウトプットし始めた当初は、嫌われる怖れであったり、画面の先の見えない誰かの顔色を窺ってしまっていました。
けれども、それで続けていくことは非常に辛いんですね。
毎日何かを書こうと思っていると、ネタは自分の内側にしかない。
たとえ時事ニュースを扱っていても、結局アウトプットをするのであれば「そのニュースを見て何を感じるか」ということに収束していくように思うのです。
アウトプットを続けていくうちに、知らず知らずの間に自分の思考や感性、それを表現するものがどんどん私自身の純度を上げていってくれたように思います。
まだまだいまの私も言いたいことを100%そのまま表現できているわけではありませんが、きっとこの先もアウトプットを続けていけば、それはもっともっと純度を高めていけるのでしょう。
そして二つ目の恩恵は、自分の純度が上がることで、周りの人が分かりやすくなったということです。
「私はこういうことに心惹かれ、こういうこ面白いと思い、こういうことに悲しんだり腹を立てたりして、こういうことを考えている」
ということを表明していると、不思議なことに
「その思考や感性、価値観に共感してくれる人が周りにいて、それに合わない人は距離を置いてくれるようになる」
という恩恵が起きます。
自分の価値を信じられなかった時期に、私は嫌われる怖れからすべての人に好かれようと思っていました。
そして、自分が他人に嫌われることを許せませんでした。
自己肯定感は低いわりに、プライドだけが高かったんです。
しかし、落ち着いて考えてみれば「自分のことを好きかどうかよく分からない多数の人と人生を過ごす」よりも、「ごく少数でも自分のことを大好きな人と人生を過ごす」方が、圧倒的にイージーモードのはずです。
アウトプットを続けていると、自分の思考や感性が純化されるとともに、それに共感してくれる人は励まし合ったりと一緒に寄り添って歩いてくれます。
それと反対に、自分と合わない人とは疎遠になっていきます。
というよりも、わざわざ寄ってこなくなる、と言った方が正確かもしれません。
いまの私の考えに合う人が勝手に残っていき、自分に興味のある分野の情報や発見を教え合ったりと、どんどん深めていくことができる。
それが、アウトプットを続けることの大きな恩恵のような気がします。
「ウマフリ」さんとのご縁も、きっとその恩恵の延長線上にあるように思うのです。
「自分の思考や感性、その表現が純化していくこと」
「それにともなって、自分に共感してくれる人が周りに残っていくこと」
その二つが、いま私が考えるアウトプットを続けることの大きな二つの恩恵です。
さて、アウトプットの恩恵について綴ってみましたが、いかがでしたでしょうか。
そのような恩恵のあるアウトプットを、誰でも手軽にできるようになったのは本当に恵まれた時代だと思うので、今日はそんなアウトプットに寄せて綴ってみました。
今日もお越し頂きましてありがとうございました。
道すがらの紫陽花も咲いてきました。
今週から入梅のところが多くなりそうですね。
どうぞ、ごゆっくりお過ごしください。