「アカウンタビリティ」とは、私の周りに起こることは、すべて私たちの選択の結果である、という考え方です。
そう考えることは、私たちに大きな恩恵を与えてくれるようです。
名著「傷つくならば、それは「愛」ではない」(チャック・スペザーノ博士:著、大空夢湧子:訳、VOICE:出版)の一節から。
1.人間関係で起こることのすべてには、二つの源がある
パートナーがあなたをふみにじったと思いこみ、恨みを抱くことがよくあります。
けれども、自分の潜在意識を見ることができたのなら、「私が自分自身に対してやっていること以外には、人が私に対してできることは何もない」ということがわかるはずです。
人間関係で起こることのすべては一種の「共謀」です。
関係が終わりに向かうときは、意識の、あるレベルで二人とも終わりを選択しているのです。
潜在意識のなかで、どちらが「自立」して悪者になり、どちらが「依存」して捨てられるかを選ぶのです。
どちらも関係を終わらせるために、いちばんうまく使える役割を選びます。
起こることのすべては、選択の結果なのです。
「傷つくならば、それは「愛」ではない」 p.211
2.すべてを自分自身が選んでいるのだとしたら
今日のテーマも、昨日に続いて少し哲学的なテーマですね。
論理的な説明というよりは、「ふーん」という感じで読んでいただくのが、いいかと思います。
アカウンタビリティの考え方とは
とはいえ、まずは心理学をベースに説明してみようと思います。
心理学においては、私の周りに起こることは、すべて私たちの選択の結果である、という考え方があります。
それを、「アカウンタビリティ(の法則)」と呼んだりします。
「アカウンタビリティ」というと、一般的には「説明責任」と訳されたりしますよね。
「〇〇市役所は、アカウンタビリティを果たしていない」とか。
しかし、心理学における「アカウンタビリティ」は、それとは少し違うニュアンスです。
目の前に映るできごとが、すべて自分の選択の結果である。
それは、一見すると、非常に厳しい見方です。
注意したいのは、望まない現実が見えているからといって、「だから自分はダメなんだ」というふうに思わないことです。
それは、心理学を使った自分いじめになってしまいますから。
「アカウンタビリティ」に基づいた考え方は、そうではありません。
たとえば、自分にとって何らかの問題が、解決せずにそのままあり続けるのであれば。
「問題を解決する力が、自分にはない」
もしくは、
「まだベストを尽くしていない」
のいずれかである、と考えることができます。
前者であれば、解決する力をつける、もしくは誰か他の人に助けを頼る、といったことが求められます。
いっぽう、後者であれば、単純にベストを尽くす、ということが求められます。
ここには、自分以外の他の誰かの選択や行動といったものは、入りこむ余地がありません。
どこまでも主体的に、この世界に対してアプローチしていけるわけです。
アカウンタビリティの恩恵とは
さて、一見すると厳しい見方に見える、この「アカウンタビリティ」の考え方。
それは、二つの大きな恩恵を私たちに与えてくれます。
まずひとつ目は、自分軸で行動できるようになる、という恩恵です。
これは、とても分かりやすいですよね。
「あの人が、こうしてくれないから」
「彼女が、ちゃんと言ってくれないから」
「このデータをチェックするのは、アイツの仕事なのに」
というような、問題を他責にすることのもどかしさ、あるいは苦しさから、自分を救ってくれます。
どんな状況であれ、自分にできることがある。
そう信じられることは、自分を強く支えてくれます。
そして、もう一つの恩恵は、超特大の恩恵です。
それは、罪悪感からの解放です。
「アカウンタビリティ」の考え方を持っていないとき、人は問題を誰かのせいにして、誰かを責めています。
あの人のせいだ、彼女が悪い、アイツがちゃんとしていないから…
そうした考えは、いわば被害者の立場に自分を置くことに、ほかなりません。
被害者は、必ず加害者を責めます。
「あなたのせいだ」、と。
ずっと攻撃し続けるわけですよね。
そして、誰かを攻撃していると、その力と同じだけの罪悪感を抱きます。
この罪悪感が、自分を苦しめます。
これが、しんどいんですよね。
「アカウンタビリティ」のとらえ方をすると、その罪悪感から解放してくれるわけです。
「ふーん」と思われました?笑
いや、これって、めちゃくちゃ大きな恩恵なんです。
なんたって、問題のデパート、総合商社である罪悪感がゆるむと、問題が問題でなくなったり、なんだか肩の荷が下りたり、心がかるーくなったりします。
それくらい大きな恩恵が、「アカウンタビリティ」にはあります。
起こることのすべては、選択の結果なのです。
引用文にある、最後の一文。
まさに、「アカウンタビリティ」について教えてくれています。
いま起きていることは、すべて自分自身の選択の結果としてとらえる。
それは、これからの道を、主体的に歩いていくことを助けてくれます。
3.選んでいるし、導かれている
さて、そうした「アカウンタビリティ」についての考え方を見ていくと、それをパートナーシップに広げて考えることもできます。
ふたりの間に起こることは、ふたりの選択である、と。
たとえば、恋人との悲しい別れであっても、それはお互いが合意したものである、と。
別れを告げられる側からすると、なかなかそうは思えないものですけれどね。
私も、過去を振り返ってみても、なかなか素直に「そうだね!」とは言えないものです笑
この、自分自身の選択、というのは、自覚的な選択というよりも、無自覚な選択と表現したほうが、いいのかもしれません。
表層では、そうは望んでいないけれど、心の底では、それを望んでいた、と。
たとえば、
それを潜在意識と呼ぼうが、
神さまと呼ぼうが、
守護霊と呼ぼうが、
なんでもいいのですが、
あなたには、あなたのことを深く理解している存在がいるとします。
それは目に見えませんが、絶えずあなたを見守っています。
晴れの日も、雨の日も、あなたが笑っている日も、泣いている日も。
あなたが生まれた日から、今日この日まで。ずっと。
…え?目に見えないから、いない?
そう言わず、いるってことにして、話を続けさせてください笑
そんな存在が、あなたにも、そして周りの誰かにも、いるとしたら。
たとえ、いま目に映るものが、自分が望んでいるものは、かけ離れているように見えたとしても。
それは、大きな流れの中で、選ぶほかなかったものなのかもしれません。
うねり、蛇行し、揺蕩いながらも。
小さな川は、いつか大海に流れつきます。
選ぶのも、選ばれるのも、導かれるのも。
実は、同じようなことなのかもしれません。
ということで、今日もまた、少しイメージ的なお話になりました。
ここまでお読みくださり、ありがとうございました。
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