新しいことにチャンレンジする、ということ。
それは「成功も失敗も含めた経験を得られる」という恩恵を与えてくれる。
そしてその延長線上に、「同じ経験をした、あるいは経験をしている人の気持ちが分かる」という大きな恩恵があるようだ。
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断酒にチャレンジして丸8か月が経過した今日この頃だが、先日嬉しいことがあった。
大切な友人である岩橋隆盛さんが、断酒についての思いをブログに綴っているのを見かけたのだ。
何度も辞めようと思ったけれど、やっぱり辞めれなかった。
けれど、大切な人を悲しませたくないという想いによって、酒を辞めるに至ったという愛の物語。
その断酒に至るまでのいきさつを読みながら、隆盛さんが綴ったこの部分に深く頷いてしまった。
それと、何だかうまく言えないけど、もう、お酒を飲んで何かから逃げたり、感情を麻痺させるのが嫌になっちゃった、とでもいいましょうか?
そうなのだ。
私の場合は「何となく」ふと思いついて断酒を始めたのだが、その根底には、
「酔うために飲むような飲み方は、もうイヤだ」
「感情をお酒で麻痺させるのが、嫌になった」
「二日酔いになって自分を苛めるのを、もう辞めたい」
という想いがあったように思う。
以前にこちらのエントリー(→断酒日記 【26日目】 ~これまでの断酒のメリット・デメリットのまとめ)の中で書いたのだが、お酒には感情を冷凍させる効用がある。
さしずめ、食べきれない食材をラップにくるんで冷凍するように。
それは、お酒を飲んでいる間はどこかに行ってしまっているのだが、それでなくなったりするわけではない。
お酒はそのときの感情を冷凍こそすれ、決して消化することはない。
意識的にせよ無意識的にせよ、そのことを理解した私は、「何となく」断酒を始めた、というのが経緯のように思う。
これは人から言われたり、表面的に教えらえたりしても続かなくて、自分で気づいて納得する必要があるのではないか、と思っている。
そのような実体験があったからこそ、隆盛さんの言葉に深く頷くし、断酒が続こうが続くまいが、応援したいと感じる。
もしも私自身が断酒していなければ、そのように同じようなことに挑戦している人に共感したり、応援しようとしたりできなかっただろうな、とは思う。
いままでやってこなかった事への、新しいチャレンジ。
その恩恵は経験のみならず、その経験から他人の心情が想像できるようになる、ということにもあるのかもしれない。
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隆盛さんが書いていたように、
こんな感じで今回お酒について書いてみましたが、まだ自分の中ではまだお酒との問題は終わっていないと思います。
未だに食事に行ったりのみに行くと、最初のビールは美味しそうだし、日本酒と刺身を合わせて飲みたいとも思う。
とは、私も同じである。
いよいよ、断酒をして初めての夏が来る。
生ビールの喉ごしの誘惑に耐えられるのか、新しい挑戦の夏になる。
まあそれはさておき、隆盛さんが書いているように、自分自身との対話を地道に続けていこうと思う。
これからどうなるのか?もう一生飲まないのか?あるいはまた再開してしまうのか?わからないけど、これからも自分自身を見つめていこうと思います。
隆盛さん、いつかお互い解禁したら、美味しいお酒をしこたま飲みましょう。
もしかしたら来世になるかもしれませんが…