得難い出会いの先にあるのが、
身をよじる別れの寂しさであるならば、
身をよじる別れの寂しさの先にあるのも、得難い出会いなのかもしれない。
それらは必要十分条件であり、
同じコインの裏表であり、
陰陽のコントラストである。
それらはお互いに同値であり、
500円の印字の裏は500円であり、
灼熱の日差しは色濃い日陰を作る。
いったい私は、
これからの人生の中で、
味覚を超えて情景を想起させる味を、
あと何回味わえるのだろう。
時が止まってほしいと願う時間を、
あとどれだけ過ごせるのだろう。
写真を撮ることすらためらわれる絶景を、
あと何回観られるのだろう。
背筋から魂に響くような音色を、
あとどれだけ聴けるのだろう。
無償の愛が溢れる空間を、
あと何回過ごせるのだろう。
あなたと出会えて本当によかったと思える人に、
あとどれだけ会えるのだろう。
あと10回かもしれないし、
もしかしたらあと100回かもしれないし、
はたまたあと1回かもしれないし、
実は、もうないのかもしれない。
それらは、
誰にも分からないこと
なのかもしれないし、
もう決められていること
なのかもしれないし、
実は根拠も何もなしで、
私が「決めてしまえる」こと
なのかもしれない。
きっと私は、
どれを選んでもいい。
けれども、もしも。
もしも、
その先にまた得難い出会いがあることを、
知っているのなら。
いまこの寂しさを感じ尽くそう。
頬を伝う透明な血を、流し尽くそう。
それは、
楽しさとそこに溢れる笑顔を味わい尽くすことと、
きっと同義なのだろうから。
その身をよじるような寂しさと涙は、
コインを再び裏返す偉大な引力なのだから。
そのオセロの白黒がひっくり返るたびに、
また世界は優しくなる。
だから、今日も変わらず、
自分自身を感じよう。
自分自身を愛し尽くそう。
ありがとう。
その言葉の意味を、また改めて知る。
ありがとう、さつほろ。