今日は書評を。
私がカウンセラー見習いとして師事している根本裕幸さんの新著「ふと感じる寂しさ、孤独感を癒す本」(清流出版、以下「本書」)に寄せて。
1.人を狂わせる「寂しさ」
本書は寂しさや孤独感について書かれた本である。
寂しさは、人が母親の体内から外の世界に出て、へその緒を切ったときから生じる、人間の原始的な感情であるとされる。それと同時に、寂しさは人を狂わせる感情でもある。
時に寂しさは「人を殺めたくなるほどの衝動をもたらす感情」と言われます。寂しさはつながりが切れたときに生まれる感情ですから、そのときは「一人ぼっち」であり「孤独」を感じています。そして、これから先もずーっと孤独だとしたら、人生に絶望を覚えるものです。その結果、自暴自棄になり他人や自分自身を傷つける衝動に駆られてしまうこともあり得るのです。
本書 p.72
そんな怖ろしい感情である「寂しさ」だが、もっとも怖ろしいのは、その寂しさに多くの人が無自覚である、ということだ。
あまりにも原初的な感情であるがゆえに。
あまりにも当たり前に心の内に存在する感情であるがゆえに。
あまりにもそれを感じることが嫌な感情であるがゆえに。
寂しいという感情に、無自覚な人は多い。
心理学を学んでいくと、ほとんどすべての問題の裏に「罪悪感」という厄介な感情が横たわっていることを学ぶが、この「寂しさ」という感情もまた、さまざまな問題の原因となっている感情であるように思う。
それくらいに原初的で、厄介な感情である。
だから、本書の冒頭に出てくる以下のチェックリストには、多くの人が当てはまるように思う。
「何かと忙しく動いていて、落ち着いて過ごす時間があまりない」、「何か目標に向けて頑張っていないと落ち着かない」、「気がつくとSNSのアプリを開いて、友達とやり取りをしている」、「ハードワークの傾向がある」、「甘いものやお酒等が日常生活に欠かせない」、「人と親密になることに抵抗がある」…などなど(ご多分に漏れず、私は多くの項目に当てはまった)。
そんな寂しさであるが、さまざまな種類がある。
本書の第1章で詳しく書かれている通り、誰かと死別した寂しさであったり、クリスマスやお正月といった歳時記にふと感じる寂しさだったり、リーダーの孤独だったり、本音を言えない・理解されない寂しさだったり、SNSで感じる寂しさだったり、さらには老いがもたらす寂しさというものもある。
本書を読んでいくと、人は寂しさを感じずに生きることは難しいと思わされる。
けれど、本書は寂しさという感情自体を、単純に否定することはしない。
在るものは在る、と寂しさという感情を認めたうえで、それと向き合うことを進めてくれるのが、本書である。
自分のなかにある孤独を見つめることは、少し勇気がいるようです。しかし、次の章でお話しするように、その想いは誰もが心のなかに抱えているものであり、ある意味、私たちに一生つきまとう感情と言ってもいいものです。
何かでごまかしたり、なかったことにするよりも、その感情と向き合える強さを備え、堂々と孤独感を見つめられる人になってみませんか?
本書 p.42(太字部は原文のまま、以下同じ)
2.寂しさの本質とは何か
さて、当たり前のように使っている「寂しさ」という感情だが、それはどんな感情なのだろう。なぜ、それを感じるのだろう。
本書では、その本質をこう定義している。
1章で見てきたように、私たちは人間関係のなかで孤独感を感じ、寂しさを覚えます。そうすると「人とのつながりが切れたから寂しさを感じる」と思いがちなのですが、そうではありません。
結論から言えば「自分とのつながりが切れたときに人は寂しさを感じ、孤独になる」のです。
本書 p.46
ほんとうの寂しさとは、物理的な距離とは無関係な、「心と心のつながり方」によって感じられるものなのです。
そして、何度もくり返しお伝えしていますが、それは「自分の心とのつながり」なのです。
本書 p.136
人は寂しいから他人を求め、誰かとのつながりを求める。
友達からの連絡が来ないから、誰かと別れてしまったから、親しかった人と絶縁になてしまったから、恋人と会えないから、寂しいと感じる。
常識的に考えれば、そうだ。
寂しさを感じさせる状況や周りの反応があり、それが寂しさを感じさせる、と。
しかし、本書で書かれていることは、それとは全く逆のことだ。
他人がどうしたか、という外的な状況ではなく、「自分とのつながりが切れた」ときに人は寂しさを感じる、と書かれている。
心理学において非常に重要な考え方のひとつに、「投影の法則」がある。
人は、自らのこころの内にある想いを、外側の世界に映し出して見ている、という考え方だ。同じ風景を見ても「なんて美しい風景だ」と言う人もいれば、「なんか人寂しい風景だな」と感じる人もいる。
それは風景のみならず、人間関係などの状況においても、同じだ。同じことを言われても、「愛してくれてありがとう」と感じる人もいれば、「どうせ私なんか愛されていない」と感じる人もいる。
学校を卒業することを「新しい世界を楽しめる」と捉える人もいれば、「もうみんなと過ごす日は戻ってこない」と嘆く人もいる。
私は常々「すべての問題は自作自演」とクライアントさんたちに言っています。その状況を問題としてとらえるかどうかは、自分自身が決めているのです。
すなわち、少々大げさな表現を使えば「世界はあなたが創っている」と言えるのです。
本書 p.52
寂しさもまた同じで、何がしかの状況が寂しさを感じさせるのではない。
自分自身とのつながりが切れたときに、そのつながりが切れてしまった内面を外の世界に投影し、寂しいと感じる。それが、寂しさの正体だと本書は説く。
では、自分自身とのつながりとは、具体的にどういう意味なのだろう。本書では続けてこう書かれている。
「自分とのつながり」というのは、「自分の心(感情)と意識(思考)とのつながり」のことを言います。「自分が今どんな気分で、何を感じ、何を思っているのか?」ということを、きちんと意識で受け止めることができている状態を「自分とつながっている」と言います。最近よく耳にする「マインドフルネス」の状態と言ってもいいでしょう。
逆に、自分の気持ちが分からなくなったり、周りの状況に振り回されて自分よりも他者に意識が向いているときは、「自分とのつながりが切れている」と表現します。
本書 p.53
自分の感じていることに、自覚的であること。それこそが、寂しさと向き合い、それを癒していく第一歩である、と。
それは、古代ギリシアのデルフォイの神殿の入り口に刻まれた、「汝自身を知れ」の格言を思い起こさせてくれる。やはり、真理とは時代を超えるものなのだろう。
すべては、自分自身から。
周りを使って寂しさを消そうとしても、うまくいかないことを、本書でも書かれている。
つまり、他の人があなたの話を聴いてくれたとしても、あなたが自分の心ではなく、他人に意識を向けていたとするならば、その寂しさは一向に消えないのです。
本書 p.57
3.寂しさがもたらす問題、それを癒すためには
人を狂わせると言われるくらいに厄介な感情である、寂しさ。
すでに上に述べたように、寂しさは多くの問題を引き起こす。
その代表的なものは、依存症の問題だ。さまざまなものに、人は寂しさから依存する。
SNS、食べること、アルコール、仕事、恋愛やセックス、買い物、占い、浮気…それらに依存してしまうのは、人が寂しさを感じるのがほんとうに嫌で、それと正面から向き合う勇気がないからと言われる。
そうした刺激物によって、一時的に寂しさを忘れることはできるかもしれないが、寂しさが癒えるわけではない。ふと我に返った瞬間に、凍えるような寂しさに身震いする。それを忘れるために、また刺激物を求める…という循環だ。
かつての私が、そうだった。
立て続けに肉親を亡くしたことで、膨大な寂しさと孤独を胸の内に抱えていた。けれど驚くことに、当時の私は「寂しい」と感じることはなかった。ワーカホリックに働くという刺激物で、それを紛らわせていたからだ。
仕事で成果を出し、周りに認めらるために、ハードに働く。たとえその成果が出たとしても、寂しさがなくなるわけではない。回し車の上で走り続けるハムスターのごとく、延々とハードワークを続けるしかなかった。
仕事が終わった後は、酒がそれに代わる刺激物だった。寂しさを紛らわせるために、酔う。酔うために飲むお酒なのだから、適度なところで止められるわけもなく、いつもひどく酔っていたように思う。
夜明け前に、ぱちりと目が覚め、確実に二日酔いの気配を感じつつ。誰もいないアパートで、孤独に慄いていた。
寂しさは人を狂わせる。それは、ほんとうだと思う。
そんな私が著者のカウンセリングに出会い、自分の抑えてきた「寂しさ」に触れたとき。十数年間、抑え込んできた寂しさがあふれ、一晩中、慟哭という表現がまさに的確なほど、大泣きしたことをよく覚えている。
そんな依存症の他にも、他人と親密な関係を築くことへの怖れや、一定の距離がある人とはうまくいくけれど、近くには誰もいない状態(本書では「心のドーナツ化現象」と呼んでいる)、自分を傷つける衝動的な行動など、さまざまな問題を寂しさは引き起こす。
私自身、振り返ってみてもすべて当てはまってしまった。
そんな問題をもたらす寂しさであるが、それと向き合い、癒していくための方法が、本書には具体的に記されている。
「孤独感や寂しさは自分とのつながりが切れたときに感じるもの」という性質を考えれば、ゴールは「自分とのつながりを取り戻す」ということになります。
本書 p.96
さまざまなワークが、本書では提案されている。
心の日記、内観、感謝の手紙、誰かを応援する、誰かに助けを求める、寂しさを受け入れ、それをただ味わう…さまざまな方法、ワークを本書では提案されている。
私自身も、寂しさと向き合う中で、取り組んできた多くのワークである。
大切なのは、寂しさは癒すことができ、その方法は無限にある、と知ることかもしれない。
それは、決して誰かに何かをしてもらうことや、周りに人がたくさんいる状態をつくるが、寂しさを癒すのではない。あくまで主体的に自分から向き合うことで、寂しさは癒すことができる。何とも書いているように、寂しさとは、自分とのつながりが切れたときに感じる感情なのだから。
4.寂しさが与えてくれるもの
ある側面には、かならずその裏の面があるように。
これまで寂しさのもたらす問題や、負の側面を書いてきたが、寂しさが与えてくれる恩恵というものがある。
それは、先に書いた罪悪感の裏側には、愛が眠っていることと同じ構図だ。
さて、寂しさや孤独感はとてもつらい感情なのですが、一方では「もし、寂しさを感じなければ誰も結婚しようとは思わない」と言われたりもします。
寂しさや孤独感は自分とのつながりが切れたときに感じるものですが、他者とのつながりを通じて、自分自身とつながり、そうして癒えていくものでもあります。
つまり、寂しさは「誰かとのつながりを作り出すために必要な感情」なのです。
本書 p.58
なぜ、人は寂しさという感情を持つのだろう。その疑問に対する答えの一つを、本書は提示している。
すなわち、誰かとつながるために、必要な感情なのだ、と。
寂しさがあればこそ、誰かとつながりをつくることができる。
寂しさがさればこそ、自らのこころの内と向き合うことができる。
寂しさとは、人を人たらしめている、非常に重要な感情の一つであると見ることもできよう。そして、寂しさを乗り越えた先に、こんな世界を本書は提示してくれる。
寂しさや孤独感を乗り越えることができたら、私たちは地に足をしっかりと着けた生活が送れるようになります。寂しさを紛らわせるために何かに依存したり、誰かを求めたり、相手の反応を気にして不安になったりすることがなくなりますから、いつでも自分らしく(つまりは自分軸で)振る舞えるようになるのです。
(中略)
もちろん、これらは一例に過ぎません。寂しさを乗り越えることで得られる恩恵には、ほんとうに様々なものがあります。言い換えれば、寂しさと向き合い、それを乗り越えていくことは、今の人生を大きく変える方法と言えるのかもしれません。
本書 p.133~135
自分らしく生きられるようになるという、大きな恩恵を与えてくれる、寂しさという感情。それと向き合うための、さまざまな考え方であったり、ワークだったりが、本書には散りばめられている。
そして、寂しさを癒しはじめた人は、それを周りに与えることができるようになる。
ここまで書いてきて気づいたのですが、この本はかつての自分に読ませたい1冊かもしれませんね。あのとき、この考え方、やり方を知っていたらあそこまでお酒や仕事にハマり込むことはなかったでしょう。
本書 p.196「おわりに」
著者が最後に書かれている通り、まさに寂しさを抑圧し、一人ワーカホリックに働いていたころの私に、読ませてあげたいと思わされた。
もちろん、それは叶わないかもしれない。
けれど、同じような寂しさ、孤独感を持った方に、何がしかを与えられるのではないかと思われる、そんな一冊だった。
↓そんなつながりを取り戻す、著者によるワークショップ。