昨日、息子とセミ取りをして童心に還ったお話を書いたら、どうもいろんな思い出が出てきましたので、それに任せて綴ってみたいと思います。
その日は、山梨に出張だった。
折しも全国的に記録的な猛暑の真っ只中であったが、朝天気予報を見ると、名古屋39℃、甲府38℃と大した違いはない。
いつも通り大きい車の運転が苦手な私のこと、何も言わぬ間に気づけばボックスカーの三列目に一人で座って3時間のドライブになった。
朝一から、いくつか仕事のメールと電話を受けながら、シートにもたれかかって目を閉じる。
普段何かと忙しく動いてしまう私にとって、強制的に「何もしない」移動時間というのは、ありがたい。
サービスエリアの昼休憩で、一瞬で溶けそうになるソフトクリームを食べ、
山梨の桃畑で「これぞ夏空」というような青空と入道雲を眺めていると、不思議と私の意識はまた虫捕りに熱中していた夏休みに飛んでいた。
両親が共働きだった私は、小学生の頃の夏休みは近所の母方の祖母の家にいることがほとんどだった。
私の通っていた小学校の学区とは違う地域の祖母の家の周りには、あまり私の友人はいなかった。
二軒隣の託児所代わりの習字教室にも一週間に一回通っていたが、そこでも一人黙々と墨を摺っていたように覚えている。
やはり、友達は近所の公園の虫たちと、プラモデルだったように思う。
ふと、一度標本をつくりたいと私が言い出したときのことを思い出す。
大きなアゲハチョウを捕ってきた私は、その美しさを図鑑で見るような標本にしてみたいと思ったのだろう。
祖母の家には、注射針と虫を殺すことのできる薬があった。
「薬で殺しちゃうのはかわいそうだよ。」
「飢えて死ぬ方が、よっぽど苦しいと思うよ」
祖母と、そんな会話をしたように思う。
戦争と看護師を経験している祖母の、その言葉は重みがあった。
かなりの逡巡のあと、私はアゲハチョウにその薬を注射した。
私の手の中で、暖かく小さな命は緩やかに霧散していった。
その蝶でつくった標本がどうなったのかは、あまり覚えていない。
けれども、それ以来私が標本をつくることをしなかったのは確かだ。
先日モエレ沼公園で聴いたクリスタルボウルは、細胞に染み込んだ記憶を浮かび上がらせることがあるという。
忘れていたそんな昔の記憶が、ふと眺めているとよみがえってきた。
考えてみればあの頃の私は、夏休みでもスポーツ少年団にもボーイスカウトにも学童保育にも行かず、一人で虫取りをしていた記憶が多い。
同年代の友達と遊ばず、寂しくなかったのだろうか。
あの頃の感情は、今ではよく覚えていない。
そんなもの思いにふける時間のあった出張を終え帰宅すると、一通の葉書が届いていた。
その祖母からだった。
未だ50円の官製葉書を使っているところが、物持ちのいい祖母らしい。
内面的な思いは外界に反映されるというが、こんなに分かりやすい反映の仕方もなかろう。
祖母の柔らかな筆跡を眺めながら、
やはり、私は寂しくなかったのだろうと、思った。
きっと、私は満たされていたのだろうと、思った。
帰り際パーキングエリアから見事な入道雲を眺めながらあの夏の日々を思い出しつつ、やはり私は夏が好きだな、などと思った。