大嵜直人のブログ

たいせつな何かをなくした心に、ともしびを。

夏が過ぎゆくのが寂しくて、久石譲さんの「Summer」を聴いている。

時に処暑。

あるいは天地始粛/てんちはじめてさむし。

 

日中はまだまだ暑いものの、その暑さも少し落ち着いてきて、秋雨前線なども見え始めるころ。「粛」には「おさまる」、「弱まる」といった意味の他に、「寒い」という意味もあるとのこと。

七十二侯の名前は素敵な名前が多いのだが、この「天地始粛」もまた、「さむし」に粛の字をあてるあたりが、とても素敵だ。

 

とはいえ、夏の終わり。

日中は暑いとはいえ、真夏のあの熱気はもうどこにもなく、その陽射しを浴びても「違うよ、そうじゃないよ」と不満を言いたくなる。

雲もどこか力強さを失ってやわらかくなり、空の色も少しずつ変わってきた。蝉の声よりも、鈴虫の音色に、はっとするようになった。

 

あぁ、夏が終わってしまう。

大好きな季節が過ぎゆくのは、いつも寂しいものだ。

 

その寂しさを紛らわせる?浸る?ためになのか、最近は久石譲さんの珠玉の名曲、「Summer」を聴いている。

 

北野武監督の「菊次郎の夏」のメインテーマとしても有名な、あの曲である。

 

夏の終わりのもの寂しさを描いたような、あのピアノの旋律。

田舎の一本道、入道雲、青々とした山の稜線、夏空、ローカル線の駅。

そんな夏の風景の画像を見ながら「Summer」を聴いて、夏の終わりの寂しさに浸っている。

 

なぜ、こんなにも夏が好きで、夏が過ぎゆくことに、こころを奪われるのだろう。

 

 

北野武監督の映画は、よく観たが、「菊次郎の夏」は好きな映画だった。

 

祖母と暮らす主人公の少年が、ひょんなことから北野武監督自ら演じる不良中年の「おじさん」と、夏休みに母を探す旅に出るストーリー。旅に出て早々、競輪場に連れていき、少年の有り金をスッてしまったり、破天荒で傍若無人な「おじさん」との旅。

 

北野監督の他の映画に見る暴力的な描写はなく、不良中年と少年の交流、そして家族の喪失、つながりを描く。これを書くにあたって色々と見ていたら、「HANA-BI」の次作だった。

 

喪失した家族と、つながり。

数々の映画賞を受賞した「HANA-BI」を制作したあとの北野監督が、このテーマで映画を撮ろうと思ったのが、興味深い。

 

また、「菊次郎の夏」を観たくなった。

 

 

それにしても、「Summer」はいい。

夏の透明感、その終わりの寂しさ、美しさ。

 

「Summer」を聴いていると、過ぎゆく夏もまた、これでよかったのだと思えてくる。

 

優れた音楽は、ほんとうに人のこころの深い部分で、皆が感じているものを、表現してくれる。

音楽があって、よかった。

 

f:id:kappou_oosaki:20210830202352j:plain