大嵜直人のブログ

文筆家・心理カウンセラー。死別や失恋、挫折といった喪失感から、つながりと安心感を取り戻すお手伝いをしております。

もしも、起こっていることが全て最善だとしたら、という仮定

「~~だったら」という仮定でもとごとを考えることは、歩く道の幅を太くしてくれると思うのです。

何らかの「仮定」をする、ということは「前提」を疑う、ということです。

こうした「前提」を壊してくれるのは自分以外の人であることも多いのですが、「仮定」を考えてみることで少しずつ「前提」を変えていくこともできるようです。

もしも、

起こっていることが、全て最善なことだとしたら。

この身を引き裂くような別離が、与えてくれたものがあるとしたら。

私は、何をしても愛される存在だったとしたら。

生きていることにさしたる意味もなく、無駄に過ごしていいとしたら。

福の神に見守られていて、お金に好かれているとしたら。

あの親を、自ら選んで生まれてきたとしたら。

ずっとやりたかったあのことが、実現できたとしたら。

苦労せず簡単に幸せになっていいとしたら。

ずっと今まで、この世界から愛されてきたとしたら。

どんな私になっているのでしょうか。

それをイメージできるのであれば、きっとそれは現実になります。

そして「仮定」を持つことは、現実をその方向に動かしていく、ということに他なりません。

人は、自らができることしかイメージできないのですから。

いろんな仮定を持つことは、人生を歩く幅を太くし、豊かにしてくれるようです。

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美しい夕暮れ。

もしも、明日が人生最高の一日になるとしたら。

そんな「仮定」も楽しいですね。