「~~だったら」という仮定でもとごとを考えることは、歩く道の幅を太くしてくれると思うのです。
何らかの「仮定」をする、ということは「前提」を疑う、ということです。
こうした「前提」を壊してくれるのは自分以外の人であることも多いのですが、「仮定」を考えてみることで少しずつ「前提」を変えていくこともできるようです。
もしも、
起こっていることが、全て最善なことだとしたら。
この身を引き裂くような別離が、与えてくれたものがあるとしたら。
私は、何をしても愛される存在だったとしたら。
生きていることにさしたる意味もなく、無駄に過ごしていいとしたら。
福の神に見守られていて、お金に好かれているとしたら。
あの親を、自ら選んで生まれてきたとしたら。
ずっとやりたかったあのことが、実現できたとしたら。
苦労せず簡単に幸せになっていいとしたら。
ずっと今まで、この世界から愛されてきたとしたら。
どんな私になっているのでしょうか。
それをイメージできるのであれば、きっとそれは現実になります。
そして「仮定」を持つことは、現実をその方向に動かしていく、ということに他なりません。
人は、自らができることしかイメージできないのですから。
いろんな仮定を持つことは、人生を歩く幅を太くし、豊かにしてくれるようです。
美しい夕暮れ。
もしも、明日が人生最高の一日になるとしたら。
そんな「仮定」も楽しいですね。