大嵜直人のブログ

文筆家・心理カウンセラー。死別や失恋、挫折といった喪失感から、つながりと安心感を取り戻すお手伝いをしております。

誕生日に想う、生と死への眼差し。

いらっしゃいませ、ようこそお越しくださいました。

私事ではございますが、おかげさまで今日38回目の誕生日を迎えました。

ありがたいことです。

私は夏の暑い盛りのこの時期に産まれたのですが、年々この時期になると生と死というものを見つめる時間が長くなってきたように思います。

私の好きな蝉時雨が聞こえる8月。

蝉の大合唱を聞きながら、蝉の抜け殻や力尽きて息絶えた蝉を見るたびに、生命の輝きと儚さの双方に想いを寄せる時間が増えます。

8月に入るとすぐに立秋がきます。

永遠に続くかと思われた夏の盛りの中にも、ツクツクボウシの鳴き声が聞こえたり空の色が変わってきたりと、日に日に秋を見つけるようになります。

永遠に続くものなど、何もないと改めて思わされます。

そして長崎と広島の悲しい記憶の日がやってきて、終戦の日に想いを馳せるようになります。

この日本という国が戦争をしていた時代から、まだ100年も経っていないことにいつも驚きを覚えます。

やがて、お盆がやってきます。

昨日もお墓参りに行ってきました。

汗を拭いながら墓石を磨き、故人と対話をするというのは、お盆ならではの時間です。  

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やはり、私の生まれた8月というのは、生と死について考えさせられることが多い時期のようです。

私はルーツは、何だろう。

私は、どこから来て、どうやって死んでいくのだろう。

何がしたくて、今世に生まれることを決めたのだろう。

そんな考えても答えの出ない問いかけを、どうしてもしたくなってしまうのが、私にとっての誕生日の時期のようです。

 

以前に「その人の年齢を3で割った数字が、人生の時計の時刻だ」というようなお話を聞いたことがあります。

中学生の15歳なら、3で割って5。
午前5時、夜明け前の時期と言えるのでしょう。

私の38歳なら、3で割って13くらい。
午後1時前くらいといったところでしょうか。

以前はこのお話しになるほどな、と思っていたのですが、最近はそう思う反面、そうでもないな、と思うようになりました。

人生という旅路に、一日の時間の流れや季節の移ろいというようなものは、もちろんあるでしょう。

どんなに頑張っても誰しも200年は生きられなさそうですし、やはり人生の夜明けと夕暮れはあるのかもしれません。

けれども、そうしたことよりも、ただこの迎えた新しい歳を楽しみたい、という思いが強くなってきました。

人生の中に浮き沈みも陰影も季節もあるかもしれませんが、毎年史上最高の歳を更新していく、そんな生き方にしていきたいと思うのです。

 

生まれてきて、よかった。

私を産んでくれて、ありがとう。

今日はそんな想いを寄せる日にしたいと思います。

今日もお越し頂きまして、ありがとうございました。

どうぞ、ごゆっくりお過ごしください。