今から8年ほど前、前職を辞めるときにそれを報告した取引先の方から言われました。
「もったいねえな。お前に腹を割って相談できる相手が、一人でもいたら、また違っていたんだろうな」
当時、もう60歳を過ぎていたオーナー社長で、北海道の取引先の方でした。
口は悪いけれど、大らかな性格で、よく呑み、よく怒り、よく笑う方でした。
愚痴ばっかり言っていたけれど、なぜか人に好かれ、周りに人が集まってくる方でした。
人の縁とは不思議なもので、感情を抑えてワーカホリックに仕事をしていた私に目をかけて頂き、懇意にして頂きました。
私が前職を辞めたのは、何か不満があったわけでもなく、人間関係に悩んだわけでもありません。
全くその逆で、仕事に人に恵まれていたと思っていましたし、今もそう思います。
辞めてから8年ほどが経ちますが、離れてもつながって頂いている方は多くいます。
「それなのに、なぜ辞めるの?」
ほぼすべての人に理由を聞かれました。
仕事も人間関係にも、特別にやりたいことがあるわけでもないのに、なぜ?と。
当時は自分でも分かりませんでした。
それでも、辞めないといけない気がする。
辞めた方がいい気がする。
それだけでした。
流されて昇進試験を受けたのですが、結果が出る前に当時の部長に辞表を持っていきました。
形式通りに慰留されたような気がしますが、8年も経つと記憶も定かではありません。
なぜ辞めたのか。
今となっては、何となく分かります。
親密感の怖れ、でした。
これ以上、恵まれた状況になると自分が保てなくなる。
自分にはそんな価値などない。
好意を持った相手から離れることで、罪悪感を満たそうとしていた。
そうした無価値観や罪悪感は、両親との突然の別離で抱え込んだものかもしれませんし、あるいは別離は単に契機であって、もともと私が持っていたものかもしれません。
ただ、そうせざるを得なかった。
冒頭の言葉をその方に言われたとき、「信頼できる人は周りにいますが・・・」と感じたように思います。
どう私が答えがきたのかは分かりませんが、ただ辞めることを話した時のその方の寂しそうな表情だけをいまも覚えています。
今になってときどきその言葉を思い出すのですが、
「信頼できる人が近くにいなかった」のではなくて、
「私が私自身を信頼できなかった」のだと思うのです。
もちろん、信頼できないのにもメリットと理由があり、そうせざるを得なかっただけのことではありますが。
全てが必要なプロセスであり、それは否定するよりも、無理矢理肯定するよりも、
ただ、そうだった。
というだけのことなのかもしれません。
秋の気配が近づくと、どうしても背を丸めて作業をしていたその方を思い出す。
いつもいっぱいいっぱいの私に、「おい、仕事できねえくせして、なに忙しいふりしてんだ。そんなこといいから、コーヒー行くぞ」と声をかけて頂いたことを思い出す。
嬉々として北海道の魅力を語っていたのを思い出す。
酒席でいつも人に囲まれて、酔っ払って笑っていたことを思い出す。
かっこいい人だった。
生きるとは、駅伝のようだ。
先人たちの想いや愛や技術や知識や、いろんなものがバトンとなりたすきとなり肩に乗っかっていく。
多くの人に愛された分、また誰かにそれを伝えなければ。
「お前、まだ信頼してねえのか」と心配されぬ生き方をしなければ、せっかく好かれた意味がない。
いや、意味などなくてもいいのだが、せっかく愛されたのだから、どこかにその恩を返したい。
そう思うことも、私の身勝手なエゴなのかもしれない。
それでもいい。エゴでもいい。
それもひっくるめて、自分を、出会った人を、プロセスを愛していく。