大嵜直人のブログ

文筆家・心理カウンセラー。死別や失恋、挫折といった喪失感から、つながりと安心感を取り戻すお手伝いをしております。

「好きなことを無心で歩くとは、結果を気にしないこと」

こちら↓の昨日の記事の続きです。

「好きなことを無心で歩くことが人生の要になります」 - 大嵜 直人のブログ

今朝少し瞑想していたところ、タイトルの言葉が浮かんできました。

「好きなことをして無心に歩くとは、結果を気にしないこと」

無心で歩くとは、言い換えると周りに目が入らない状態とも言えます。

それは小さいころに、缶蹴り、や草野球、ドロ警といった遊びに熱中して気づけば日がどっぷりと暮れていた、というような経験が思い出されます。

私は一人遊びをすることが多かったので、ずっと憧れの野球選手や漫画のキャラクターになりきって、無心で壁にボールを投げていたこともありました。

それをしているとき、その時間に没頭して周りが気にならくなる。

それをしたからどうなるのか?とか、缶蹴りに勝ったからどうなるか?、泥棒チームを全員捕まえたから何かあるのか?とか、考えていなかったと思うのです。

ただ、楽しいから、やる。

その状態を、その時間を、大人になっても持つことができたら、最高に楽しいと思うのです。

そしてその時間がたくさんあればあるほど、最高に最高に楽しいと思います。

 

ただ、私のように周りの人の視線や意見に流されてきた人間にとっては、なかなか「自分が楽しむ」という時間をつくるのは怖いものです。

なぜなら、「結果」が気になるから。

「結果」とは、言い換えれば「他人からの評価」です。

成功も失敗も、「他人からの評価」でしかありません。

たとえ周りが失敗だと揶揄しようが、本人が楽しんでさえいれば、それは「失敗という経験」の一つでしかありません。

むしろ、そのさまざまな「経験」をするために、生きているのかもしれません。

しかし、周りを気にして、顔色をうかがっていると、重い鎧を着て、ごたいそうな盾を構えて、自分の気持ちを外に出さないように、心の奥底に抑え込んでしまいます。

鎧も盾も重くて、何かをしようと思っても、楽しいどころか、歩くだけでも息が切れて苦しい。

そうした心の状態が現実に反映され、どうしようもなく行き詰まったときに、私は心の在り方を学び始めました。

その中で、他人への「依存」を解消し、「自立」を取り戻すように心と向き合ってきました。

それは鎧も盾も脱ぎ捨てて、自分の心の声に従って自分の足で自分の行きたいところに、行く。

そうすることの練習でした。

いまもまだ、その途上です。

どうしようもなく苦しかった当時、手帳に書いていた金言があります。

心の声を聴く、ということ。

自分の声を知る、ということ。

我儘になってみる、ということ。

直感を信頼してみる、ということ。

憧れの人に会いに行く、ということ

・・・今もまだ、その道すがら、です。

 

さて、その「結果を気にせずに好きなことをする」ということは、対人関係のコミュニケーションを円滑にすることに似ているように感じます。

「円滑」とは、自分を押し殺して波風立たないようにすることではありません。

自分と相手は違うという大前提の上で、自分を尊重しながら、相手を尊重するというコミュニケーションです。

それは、ときには波風が立つこともあるかもしれません。

彼女を愛すれば愛するほど、彼女に気に入られるような言動を取りたくなります。

上司に怒られないようにすればするほど、自分を押し殺して盲目に従うことになります。

これまでのようなすれ違いを味わいたくないと思えば思うほど、親しい家族を遠ざけたくなります。

それらは、結局のところ「結果」をコントロールしたいという執着から来ています。

言い換えると、相手に自分の思い通りの反応してもらいたい、というある種の傲慢さです。

そして、それは緩やかな毒のように、あるいはじわじわと自分の首を真綿で締め上げるように、後から後から効いてきます。

自分の心を、殺さない。

自分の心に素直になる。

それを、表現し続ける。

それに対して、相手がどんな反応を示すのかは、相手の領域です。

そうして見ていくと、「結果を気にせずに、好きなことをする」とは、「相手の反応を気にし過ぎず、自分の気持ちを大切にしたコミュニケーションができる」ことと同じ構造のようです。

 

「結果を気にせずに、好きなことをする」から、「相手の反応を気にし過ぎずに、自分の気持ちを大切にしたコミュニケーションができる」のか、

それとも、その逆なのか。

ニワトリが先か、卵が先か、のような議論になりそうです。

恐らくは、そうした言動を支える「マインド」とでも呼ばれるものを整えることが、「好きなことを無心で歩き続ける」ことのベースになるように思います。

お越し頂き、ありがとうございました。
今日も佳き日をお過ごしください。

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