ブラームスのヴァイオリン・ソナタ第3番ニ短調、第2楽章が好きだ。
初めて聴いたのは、20歳か21歳か、その頃だったように記憶している。
サントリーホールかどこかの大ホールで、マキシム・ヴェンゲーロフの演奏だった。
自分から行こうとチケットを取ったのではなく、友達から誘われた。
「世界一上手いヴァイオリニストのチケットあるけど、行くー?」
そんなノリで、私にしてはめずらしく女友達からの誘いだった。
当時の私はといえば、楽器を弾いているか、麻雀牌を握っているか、スロットのリールを眺めているか、そんな生活を送っていた。
チェロを弾いていたにもかからわず、とんとクラシックの素養がなかった私は、ブラームスはかろうじて知っていたが、ヴェンゲーロフというヴァイオリニストの名前は初めて聞いた。
帰国子女だったその彼女を、仮にトモコとしておく。
天真爛漫、天衣無縫という言葉がよく似合う女性だった。
そして何より、とんでもなくヴァイオリンが上手かった。
楽器を使って歌う、とはこういうことか、と思わせるくらい、トモコのヴァイオリンはトモコの歌だった。
そんな芸達者のトモコだったが、なぜか18からチェロを弾き始めた初心者の私の面倒をよく見てくれた。
「そんな上手い人に見てもらうなんて、申し訳ない」
当時から、そんな無価値観はよく持っていたように思う。
トモコはトモコで、あっけらかんと
「人に教えるって、自分にとって最高のレッスンなんだよー」
とかなんとか言って、あっけらかんと笑っていた。
まあこうして日々アウトプットをするようになって、その言葉を痛感する。
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まあそんなこんなで聴きに行ったそのコンサートで聴いて以来、ヴェンゲーロフとこのヴァイオリン・ソナタのファンである。
言葉もないのに、ヴァイオリン一本で何百人という観客一人一人とヴェンゲーロフが糸がつながっているような感覚があった。
それは10人くらいの観客を前にして、一人一人の表情や反応を見ながら演奏するのを、サントリーホールのような大ホールでそっくりそのままやっているように思えた。
世の中には、いそうもない人がいるもんだな、と妙に感心した。
一つ一つの音が珠玉のようで、背筋のゾクゾクが止まらなかった。
身体は、いつも正直だ。
そして、この第3番の2楽章で、なぜかわからず涙が流れた。
柔らかな語りかけるようなヴァイオリンの音色。
どこか憂いを含んだ主題は、「諦念」という言葉を想起させる。
絶望の暗闇や深い海の底、どこにいても人は希望を持つことができる。
その希望は「諦め」という静かな水面の際にこそ、立ち上がるのかもしれない。
曲の途中、主題をテンポアップして情熱的に歌い上げ、そしてまたもとのテンポに戻り抒情的にのびやかに歌う。
月影の落ちる砂浜を、ゆっくりと肩を並べて歩くようなその速度が心地よい。
音楽というのは、不思議だ。
突きつめれば空気の振動なのだが、それは人の心を揺らす。
歌詞もなくても、感動に流れる涙があることを始めて知った。
この人が生きている世界は、美しいと思った。
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コンサートのあとでこの曲が入ったCDを必死に探した。
まだamazonや通販などが普及していなかった時代のこと、よくCDショップに通ってはクラシックコーナーで探したものだ。
その甲斐あってか、このCDは今でも思い入れが深い。
どうしようもなく孤独なとき、部屋の明かりを落としてこの2楽章をよく聴いた。
魂が震えたあの時間に、また戻れるような気がしたのかもしれない。
やはり、そのときも涙が流れた。
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そんな音楽と私をつないでくれたトモコは、その後プロの演奏家になりたいと言って音楽大学に入り直した。
本場のヨーロッパで研鑽を積んだのち、帰国してオーケストラに入ったとの風のうわさを聞いた。
トモコのヴァイオリンと同じくらいに上手かった、石川さゆりの「天城越え」の歌声を思い出す。
卒業してから孤独を重ねた私は、その後トモコと1,2回しか会っていないが、元気にしているだろうか。
人の縁とは、不思議なものだ。
そんなことを思いながら、今日はヴェンゲーロフのこの曲を聴いて眠りに落ちようと思った。