イライラしてイライラして、何かに対して無性に腹が立つとき。
オロオロして、オドオドして、まごついて自信がなくなってしまうとき。
一見して正反対のように見える二つの感情は、実は合わせ鏡である。
表面上に見える感情と、内面に抑えつけて沈んだ感情は、それぞれの表裏陰陽を示している。
結局は、どちらも自分を愛するというプロセスの裏返し。
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イライラしてしまうとき、人はその心の奥底にどうしようもない「悲しみ」や「寂しさ」を抱えている。
「怒り」という防衛線を張ることで、その深い「悲しみ」や「寂しさ」を感じないようにしている。
必ず、そのイライラしている人の内側には、途方もない「悲しみ」が隠れている。
もしも、その「悲しみ」を感じてしまったら、気がおかしくなってしまうくらいの痛みを感じてしまうのではないか。
そして、その「悲しみ」を表現して、もしも大切な人を傷つけたり、受け入れられなかったりしたら。
そうした最低最悪の事態が怖すぎて、人は「怒り」という絶対防衛線を張る。
ここから先は、何人たりとも通ることはまかりならぬ、と。
ところが、残念なことに「悲しみ」も含めたすべての感情は、感じることでしか消化されない。
防衛線を張れば張るほど、守らなければならない領土は増えていき、
城壁は高くなるばかりだ。
けれど、バベルの塔は最終的に崩れるしかない。
反対に、その怖さを越えて「悲しみ」と向き合うことができたとき。
うず高く城壁を積むこともないし、防衛のために武器を持つ必要もなくなる。
すぐにイライラと「怒り」を感じるわたしは、怒りやすい激しい性格・・・
なのではなくて、本当は傷つきやすい硝子細工のように繊細な心を持っていることを自覚した方がいい。
そのイライラは、「これ以上私を傷つけないでほしい、この悲しみを抱えた可哀そうな子を、どうか助けてほしい」という心の訴えなのだ。
イライラを止めるのは、「どんな悲しい声も聴く」という私の心の声に殉じようとする覚悟だ。
それは、訳もわからず怒りをばら撒くという蛮勇とはかけ離れたところにある。
人はそれを、勇気と呼ぶ。
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さて、その反対に自信が無くて、おどおどして、まごついてしまうとき。
人は必ず心の奥底に「怒り」を抱えている。
それは、分かりやすい相手に対してではないかもしれない。
ずーっと隠してきた傷をつけたのは、実は目の前の相手ではないのかもしれない。
心無い言葉をかけてきた親、ひどい別れ方をした恋人、分かり合えなかった友人、志半ばで敗れた夢、我が子の病や痛み・・・
目の前の相手は、実はその古傷のカサブタを剥がそうとしてくれただけなのかもしれない。
おどおどして、まごついてしまうとき。
自信がないように見えて、「もっと自分はできる」ということを、実は自分が知っているから「怒り」を覚える。
わたしはいつまでもこんな古い傷を気にして、縮こまっているような程度の人間じゃない。
溜まりに溜まったそのエネルギーを解放したら、誰にも負けないって、実は肚の底では信じている。
腕力がある者ほど、自分の全力を出すことを怖れるように、
おどおどして自身のなさそうなあなたは、自分の力を怖れている。
わたしが全力を出してしまったら、どうなってしまうんだろう、と。
だとしたら、それ、やろう。
その「怒り」、表現しようぜ。
もっと自分を信じてやれ。
その「怒り」の炎で、目の前のビルもまとわりつくしがらみも頑固な思い込みも、全てぶち壊してみようぜ。
人の目を気にしている場合じゃない。
もうとっくに、「あなたの周りは、あなたの力に気づいている」ってこと、あなたは気づいてる?
早く出しなよ、それ。
「怒り」を出す場所を間違えて、いっぱい失敗しなよ。
いまさらうまく繕うとするな。
もう、みんな知ってるから。
いっぱい傷つきなよ。
いっぱい傷つけなよ。
上手くソツなくやろうとするなよ。
暴れなよ。
それを出さない限り、自信がなさそうにしている限り、まごついている限り、
心優しい周りの大切な人が、代わりに暴れてくれるだけだから。
どんなにその野郎が、パワハラモラハラ全開に見えたとしても、
それはあなたの代わりに仕方なく、仕方なーく暴れてるだけだから。
あなたがそのヘドロのようにこびり付いてる「怒り」に目を背けるかぎり、
その代役はどこへ行っても現れる。
代役が演じてくれていたそのパートを、自分の大切な出番だと認めること。
人はそれを、勇気と呼ぶ。
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イライラさんも、まごつきさんも、
自分の繊細さ、自分のパワーとエネルギーを、
その自分の唯一無二かつ天下無双の才を、
ナメてんじゃねえ。
これが自分だと、そのか細い声を聴け。
これも自分がと、その力を誇示してみろよ。
これが、私です!
この悲しみに押し潰されそうな、頼りない子が、
この暴君のような、どうしようもないのが、
私です!
と、世界に教えてやれ。
誰か、この悲しみを癒してくれ!
誰か、この怒りを受け止めてくれ!
と、世界にぶちまけてみろ。
その勇気を、人は愛と呼ぶ。
もっと、自分を愛してやれ。
すべては、そこからだ。