大嵜直人のブログ

たいせつな何かをなくした心に、ともしびを。

「答え」は自らの内側にしか、ない。

「答え」は自らの内側にしか、ない。

 

苦しいときほど、すぐに「答え」が欲しくなる。


困ったときほど、明確な「答え」を欲してしまう。


しんどいときほど、原因となる「答え」を見つけて解決したくなる。


けれど、どんなにその「答え」が魅力的で、完璧で、権威もあって、説得力や論理性があったとしても、


それはショーウィンドウに並んだ見本なのだ。


もちろん、それを見つけてくるのはあなたの内面に備わった正確無比で完璧なコンパスなのだから、


その「答え」が間違っているはずはない。


ただ、その次にまた同じように外に「答え」を探したときに、


同じようにあなたにフィットするものがショーウィンドウに並んでいるとは限らない。

 


私もよく陥りがちなのだが、


感動の中に「答え」はない。


ジェットコースターのアップダウンは癖になるけど、スタートした地点に戻るだけだ。


もちろん、人に会う、遠くに行く、物語を聴く、異なる価値観を観る・・・


そうしたことは感動をもたらしてくれる。


けれども、それはあくまで肥料なのだ。


農作物でも、肥料をあげすぎると根が伸びないように、


「答え」という果実は、自己の内面に芽生えるものだ。


深い「答え」への気づきは、静寂の中にこそ訪れる。


それは、観覧車から降りたあと、周りを眺めながら歩いているときに、ふと、舞い降りる。


「答え」は、感動の中にはない。

 

 

だとするなら、

 

雲の流れに身を任せ

 

夕暮れの早さにおののきながら、

 

虫の音に耳を傾け、

 

深まる根菜の滋味に、

 

心寄せることが、

 

もしかしたら「答え」なのかもしれない。

 

 

「答え」は日常の静寂の中にある。

 

きっとあなたの、内側にある。