今日は、少しエッセイを。
心理学的なことは何もありませんが、少し感じることがありましたので、書き残しておきたいと思います。
先日、娘のピアノの発表会がありました。
いやぁ、やっぱりグランドピアノの音色はいいものですよね。
市内のホールで行われたのですが、ピアノの音色にうっとりとしておりました。
こう、コンサートホールでグランドピアノを弾くって、あこがれがあるんですよね。
こんな音響のいいホールに、グランドピアノの音色を響かせたら、気持ちいだろうなぁ…って。
まあ、小学生のころピアノを習ってみたはいいものの、先生が怖くてイヤで、1か月足らずで辞めた私が言うことでもありませんが笑
それはともかくとして、娘が出ているからというのもあるんですが、どうしても目線が完全に「親目線」になりますよね。
出演されたどの子にも、「がんばれ!」「いやぁ、よかったよ」という感じで、もう毎回、全力で拍手しておりました笑
これも、私が歳を重ねたということなのでしょうかね。
その発表会の待ち時間に、プログラムを眺めていたときのことでした。
そのプログラムをめくっていると、「Green」という文字が目に入ったんですよね。
その瞬間に、私の脳裏に、「グリーングリーン」という歌のことが思い出されたんです。
小学校のころに、音楽の授業で習った歌だったでしょうか。
プログラムに載っていたのは、その曲ではありませんでしたが、なんだか不思議な感覚になったんです。
「あ、こんなところにあったのか」
というような、なんというか。
Google先生に聞いてみると、もとは1963年にアメリカの「ニュー・クリスティ・ミンストレンズ」というフォークグループがリリースした"Green Green"という曲のようです。
それを、片岡輝さんという方が日本語の詩をつけたものが、NHKの「みんなのうた」で放送され、それで私が学んだ頃の音楽でも聴いたのでしょう。
その「グリーングリーン」の歌を、私は好きだったのです。
いや、単に好きだった、というよりは、なんというんでしょうかね、なぜか惹かれるというか、目を逸らせないというか…
なんだか、「大好き!」というのとは、ちょっと違う感傷を受ける曲でした。
原曲の"Green Green"は、あの時代のアメリカを感じさせるような、割とヒッピーな歌詞だったようです。
なんたって、歌い出しが
「俺は生まれたその日に、母親に『俺が出ていっても泣かないでおくれ』と言ったのさ」
ですからね笑
しかし、日本語の歌詞はそれとは異なり、父親との交流、そして別れを描いたものでした。
長調の明るい曲調とはうらはらに、結構ヘビーな歌詞が並びます。
ある朝 ぼくはめざめて そして知ったさ
この世につらい悲しいことが あるってことを
とか、
その朝 パパは出かけた 遠い旅路へ
二度と返って来ないと ラララ ぼくにもわかった
とか、「みんなのうた」っぽくないですよね笑
でも、なぜかこの歌に、小さな私は惹きつけられたものでした。
「グリーングリーン」は、人の別れと悲しみ、そして父と子のつながりを描いた歌です。
歌詞のなかの「パパ」が、どうなったのかは、聴く人が好きに想像すればいいのでしょうけれども、「二度と会えない別れ」を描いていることは、確かだと思います。
振り返ってみると、私自身もまた、これまでの道のりのなかで、このテーマと向き合ってきたようです。
肉親との別れ、そして喜びと悲しみ。
それがあればこそ、いまこうしてカウンセラーとして、日々言葉をつづっているのでしょうけれども。
ただ、不思議なのは、この「グリーングリーン」に惹かれたのは、そうしたできごとが起こった「あと」ではない、ということです。
両親を亡くしたのは、20歳を過ぎたころでしたし、小学生のころに、すでに何か辛い別れがあったかというと、そうでもないと思うんですよね。
不思議なものですよね。
普通に考えれば、「両親との別れがあったから、そうした悲しみや別れを癒すことに興味を持った」となるんですが、因果というのは、そんな簡単なものではないのかもしれません。
なんというか、「両親の死」というのは後付けで、私には「そもそも」そうした資質があった、という方が真実に近いように思うのです。
そう考えると、原因と結果というのは、実にあやふやなものなのかもしれません。
だって、同じできごとがあっても、私と同じ選択をしない人だって、いくらでもいるのでしょうから。
そんなことをつらつら考えながら。
「グリーングリーン」を、またゆっくり聴いてみたいと思います。